『冷たい手』



街中の大きな通りを歩いていた私の隣に、黒い服の男がス…、と並んだ。
大量の煙草の煙が声と共に出る。車道には黒いBMWが横付けされていた。

「乗れ」

目の周りをタトゥで黒く縁取らせ、首には散弾を巻き細い体に黒い服。ピアスは右耳に三つ、左側の鼻に一つ。指先には黒いネイル。

「…珍しい事」

私は呟く様に言い、彼と共に後部座席に座る。
車は滑らかに発進した。車内は洋楽がかかっている。元々海外の人間だ。
私も留学をし、日本に帰りエア・トレックの事を知らなければ、彼とは接点すらなかっただろう。


剣の道――ロード・グラディウス――、ガウェイン。
またの名を暗殺者――キラー――ガウェイン。そちらの名は私は知らなかった。

知らない間に私は彼に惹かれていた。




出会ったのは喫茶店。男と別れたばかりで窓際の席に私はボーッと座っていた。そこにいきなり向かいの座席に彼が無造作に座った。

「あの?」

訳が分からず問う私を無視して、新しい客にオーダーを取りに来たバイトであろう若い娘がテーブルに着く。
彼はブラックコーヒーを頼んだが、その言語は英語だった。
戸惑うウェイトレスに、私は代わりに「ブラックコーヒーひとつ」と頼んだ。

「…貴方…誰?」

投げやりな目線で外を見ていた彼は、目だけこちらを向けて言った。

「…ガウェイン」

『そういう人間』だと、その回答だけで分かった。自由気まま、気まぐれ。自分が興味を示したモノ以外には、全く頓着の無い人種。
沈黙。

気まずい訳ではない。彼はあの通りだし、私は失恋したばかりだ。
ただ、相席しただけの二人。
と、もくもくと煙草の煙が辺りを占拠し始める。一瞬で分かる。この人はヘビースモーカーだ。

…それにしても…。
目の縁には黒いタトゥ。首には散弾銃の弾が、アクセサリーなのか何なのか巻かれている。
細いけれど筋肉の付いた体。上半身は裸の上に黒いベストを羽織り、ボトムはゆったりとしたズボン。

『闇』に生きる人だと見ただけで分かった。

「泣いていたのか?」

「…まあね」

静かな修羅場を見られていたのか、泣き止んだばかりの赤い目を察知されたのか。
こう言う時、外国語はいい。他の人に内容を知られないから。

運ばれて来たブラックコーヒーを一口啜り、呟いた。


「…不味い」

「コーヒーの専門店じゃないんだから」

そしてガウェインと名乗った彼は、二度とコーヒーカップに手をかけなかった。


「…暇か?」

「…うん、一応」

むしろ何かに気を取られて失恋の痛手を忘れたかった。今になってムカムカする。あんな男の何処が良かったのだろう。

「付き合え」

「え?」

私の返事も聞かず、彼は伝票を無造作に掴むとレジに向かう。
喫茶店を出て、彼は自分のペースで歩き、私はそれを追うのに精一杯だった。

「ど、何処に行くの?」

「………」

向かった先は高級ホテルだった。星が幾つも付いている様な。

淡泊な人だと思っていた。所詮、男は男か。

通されたのは階数の高い立派な部屋だった。呆けているとガウェインはソファに音も無く座った。私もそれにならう。
上質なそれは、スプリングの存在さえ忘れる様なゆったりとした物だった。


「――酒は、呑めるか?」


「勿論。今ならやけ酒したい所」

失恋の痛手は、ぼんやりとした消失感から悲しみ、そして今や怒りへと変わっていた。

そこで初めて彼はフ…と笑った。
それを見て、私がきょとんとしている間に彼は立ち上がり、ミニバーでウイスキーをロックで作っていた。
何なんだろう…この人…。ただのナンパにしては雰囲気が違うし…てか、ヤバメっぽい?)

コトン

私の目の前のテーブルに、ウイスキーのロックが置かれた。礼を言い、一気にそれを煽る。
熱い塊が喉から胃へ滑り落ちる。これも上質な酒だった。

気持ちがいい。

「頼もしいな」

「任せて」

私の答えに彼はククと喉を鳴らして小さく笑うと、二杯目を作ってくれる。

「ねえ、貴方何者なの?」


「ガウェイン」

「それはさっき聞いた」

「ロード・グラディウス」


「…剣の道…?…あ…もしかしてエア・トレックって奴?」

空になった三杯目を、タンッとテーブルに置く。

「…知っているのか?」

「耳にかする程度にはね」


クン、と背後から私の顎を上向けて、彼は口移しに酒を私の喉に流し込んだ。

「トライデントを知っているか?」

「トラ…『そっち』の専門用語なら残念でした。全く疎いんで」

「そうか」

五杯目をテーブルに置く。ふわふわとした高揚感。

「その辺にしておけ」

人を気遣うタイプとは思っていなかったので、少しビックリした。
いきなり『お姫様だっこ』をされて浴室に向かう。
やっぱり…。
グルグルと怒りが増してくる。

「ナンパならよそやってよね!」

力の入らない体で精一杯抗う。

「…ウゼ」

その一言に胸が酷く痛んだ。出会ったばかりなのに。


慣れているのかどうかは分からないが、私はスルスルと脱がされ彼も簡単に衣服を手放し、私を支えたままシャワーを浴びる。
ふと、クルリと向かい合わせに方向転換されると、キスをされた。
ヘビースモーカーの煙草の味。
腰に回された手は夏だと言うのに冷たい。それとシャワーの温かさのギャップが私をゾクゾクとさせる。
思いの外優しい手が、私の体を滑る様に洗う。

漏れる、吐息。

キュ、とシャワーを止めると乱暴にバスタオルで全身を拭かれ、そのままバスタオルを巻いた状態でベッドまで運ばれた。

バスタオルを剥がれ、そのバスタオルで彼は自分の体を拭く。

ギシ…

布団の中に潜り込んだ私を捕え、組み敷く。
エアコンが効いた涼しい部屋の筈なのに、灼熱の炎の様な時が幻想の様に続き、私は今でかつて無い快楽に溺れるしかなかった。



そして時々向こうからふらりと現れては恋人めいた事をするでもなく、たまに愛情の無いセックスをし、
事が終わると彼はまた煙草を吸い始め、何かを考える。


そんな生活が始まった。

行為の後、時々、傍らに居る私に気付いたのか無意識なのか、腕を伸ばし髪やら体に触る。

「ウゼ…」

呟く。

彼の口癖。何が世界の何をそんなに嫌悪しているのか…。
私は彼の過去も今している事も知らない。勿論、エア・トレックなんて出来やしない。
ふらりと現れては高級ホテルに連れ込まれ、体を重ね、沈黙を守る。

「…ねえ…」

何を考えているの?

「…何だ」

「…何でもない…」

ゴロリと反対側を向く。
と、首元に手が通され肩を抱かれ、彼の方へ抱き寄せられる。

冷たい、目。

フウー…ッと煙を吐き、唇が重なる。
苦い、キス。
決して目を閉じずに私の反応を確かめて楽しんでいるのか、そのキスは激しくなってゆく。
顔が紅潮してゆくのが自分でも分かる。
一方的に見られているのはフェアではない。でも、この目を開けてあの底無しに暗く冷たい目を凝視する度胸も無い。

私は…玩具?

それを口にしたら間違えなく言われるだろう。

「ウゼ」

と。

肩に回されていた手は外され、私はまたガウェインの下になっていた。
噛み付かれる様にキスマークを付けられる。

「っ痛…」

「お前は俺の所有物だ」

もっと気の利いた言い回しは無いのかと内心笑う。
そうか、独占欲があるのなら…玩具扱いでも…。

彼は私の敏感な所を全て知っている。その攻撃に私は声を殺して堪える。

「声、出せよ」

私は首を振る。

彼の目が細められ、口端がもたげられる。
体が爆発したかと思った。そしてそれは何度も何度も私の中に打ち込まれ、頭が真っ白になり、体が痙攣する。

何度も果て、やっと彼も満足いったのか私の体の上にドサリとのしかかる。

「…ガウェイン…?」

戸惑う私の声に、彼は口封じをする様にまたキスをし、その後の呟きを私は取り逃した。

「お前くらいウゼェ女は居ねぇな」

その時私を見た彼の目はまるで―――




嘘だと言って。殺しても死なない様な貴方がもう居ないなんて―――

あの煙草の銘柄は何だったっけ…?

暗くたゆたう夜の海は、余りにも彼の目によく似ていた。
思い出すのはジリジリと照り付ける夏の日差しの中、私の全身を辿った冷たい手。

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