「ふー…」

今日も一日ニナに追い掛け回されていたフリックは、やっとの事でニナを撒き、本拠地の屋上へと逃げ込んで来た。

その日は珍しく平穏な日で、仕事で駆り出される事もなくぼんやりと本拠地で過ごしていたのだ。
普段、皆の代表的存在として忙しく立ち回っていたフリックとしては、久し振りの休暇は羽根を休める有り難いものというよりは、
何をしたら良いのか分からない手持ちぶさたな時間であった。

それでも、日に日に人員が増えて栄えてゆく自分達の本拠地を隅から隅まで歩いてみると、そうそう暇でもなかった。
人々と他愛のない話をし、現在の状況について話し合ったりもしていたが、やはり何処か上の空で、
リーダーについて別の土地を歩いているだろうビクトールの事を考えると、内心穏やかではなかった。体が平穏な日々に慣れていないのだ。

「…平和を目指しているが、いざそうとなると完全にいいと言い切れるものかは、考えものかな…」

ボソリと呟く。

「あら、穏やかな発言じゃないわね」

屋城にいるのは自分一人とばかり思い込んでいたフリックは、突然言葉を返されて飛び上がって驚く。

「だ、誰だっ!?」

一瞬ニナの顔を思い浮かべて辟易とするが、今の声は違う。
「ふふふ…」と小さく笑う声の方へ向うと、建物の陰になっていた場所にリィナが立っていた。

「何だ…お前か…」

ふぅ、と息を吐きフリックは苦笑いをして彼女の方へ向う。

「今の言葉は聞き逃してくれよ? いつも走り回っていてばかりだから、時間の過ごし方がわからなくてな…」

リィナ相手だとついつい何故か言い分けめいた口調になってしまう自分を情けなく思いながら、フリックはリィナの横に立つ。
屋上の手摺に手を掛け、視界に広がる夕焼けの内海を眺める。

「いい夕日だな…」

「そうね」

ふと、相槌を打つリィナを見てフリックの胸は跳ね上がる。

赤い夕陽を浴びてリィナの漆黒の髪が、茶金髪に見えたのだ。長く伸ばされた髪は、丁度彼女と同じ位。

息が止まっていたのにも気付かずに、フリックはリィナを見詰めていた。

「…何?」

フリックの視線に気付いたリィナがゆるりと彼を見上げる。全てを見透かす様な、明るい茶色の瞳が真っ直ぐにフリックを射抜く。

「あ…いや…」

それを躱す事が出来ず、しどろもどろにフリックは目を泳がせる。

「ニナから聞いたわ。好きな人がいるんですってね。…その人に似ていた?」

大人っぽく笑うリィナにフリックは頭が上がらず溜め息を吐いて、次第に暗くなってゆく海に視線をやる。
相棒がああなので、自然と冷静が売りになっていった自分だが、いつまでたっても女性に対しては上手く立ち回る事は出来ない。
子供相手なら困る事もないが、大人の女性相手だとどうも分が悪い。

このリィナにしては妹と一つしか違わないのに、どうしてこうも大人びているのだろうか。
18
歳だというが、20代だと言っても十分通用する。だが、それを言ってしまえば最期、何を言われるか分からない。

「どんななのか…聞いてもいいかしら?」

リィナ相手に隠し事をしても仕方が無いと判断し、フリックはゆっくりと話し始める。

「…凄い奴だったよ。いつも高い所を見詰めて、前だけを向いて生きていた。
二人になった時は、流石に歳相応な所をみせたけど…だが、ゆっくりしていられる時じゃなかったからな…。
あいつは開放軍のリーダーだった。だから、いつもリーダーとして立ち振る舞っていた。
俺としては、あいつだけがあんなにも重いものを背負う必要はないと思って居たから、あいつに一人の女≠ナある事を求めると…いつも喧嘩していたよ」

「…………………亡くなったのね」

フリックの話し方が全て過去形なのに気付き、リィナはそっと言う。

「ああ、子供を庇って…。本当は開放軍のリーダーとして散った方が、本望だったのかもしれない。
だが、あいつにとっての幸せが一体何だったのかは、結局最期まで分からなかった。開放軍のリーダーとしての志は、マクドール家の坊主が継いだ。
それが果たされ、赤月帝国はトラン共和国として生まれ変わった。勿論、オデッサはそれを喜んでいると思う。
だが…本当は、一人の女としての幸せも…望んでいたのかもしれないと考えると…」

フリックの言葉は、そこでふつりと途絶えてしまった。彼の中の時間がここには無い事を、リィナは悟る。
フリックの目に映っているのは、暗くなってしまった内海の風景ではなく、過去の思い出。苦悩と哀しみ、やり場の無くなってしまった想いがそこにある。

そっと、手摺に掛けられたフリックの手にリィナは自分の手を重ねる。

ゆっくりとこちらを向いたフリックに、やんわりと言った。

「それでも、オデッサさんは自分を不幸だと思ったことは無かったと思うわ。…勿論、私の一方的な推測だけれど。
…だって、自分の目指していたものが現実として歴史に刻まれ、そして自分亡き後もこんなにも自分を想ってくれている
がいる…」

「…有り難う…」

フリックはリィナの手を握ると、呟く様な声でそう言った。

「…でもね、きっと彼女は貴方が幸せになる事も望んでいる筈だわ。確かに、自分をずっと想ってくれているのはとても嬉しい事よ。
でも、たった一人を想い続けるばかりに、貴方は幸せになるチャンスを逃しているのかもしれない」

想いも寄らないリィナの言葉に、フリックは知らない国の言葉を聞いた様にリィナを見詰める。

「たった一人を想い抜く事は、とても尊くて美しいことだわ。…でも、貴方の幸せは貴方一人のものではない。
貴方を愛する周りの人全てのものでもあるわ。無理に忘れて他の人と一緒になれとは言わない。
でも、もう少し…周りに目をむける事も大切だと思うわ。…勿論、こんな戦乱を無くしてしまう方が先だけれどね」

最期の一言を悪戯っぽく付け加え、リィナはするりとフリックに握られていた手を離す。

「寒くなってきたわ。中に戻りましょう?」

露になっている両肩を抱き、リィナはフリックに言うと階段に向う。

だが、フリックはリィナに続かずに自分の青いマントを外すと、リィナの肩に掛ける。
そして振り向いたリィナに、「もう少し、ここで話さないか?」と尋ねた。

リィナは艶やかに微笑むと、肩に掛けられたフリックのマントの端を胸の前で合わせる。

二人は屋上の隅に座り込む。

「…俺は、オデッサを忘れて幸せになる事が出来るだろうか…」

フリックの独白にも似た呟きに、リィナは答える。

「貴方次第よ」

暫く、二人の間を沈黙が閉ざす。だが、決して気まずい沈黙ではない。
お互いに、別に何かを考えているのだろう。互いを干渉しない沈黙だ。

ふと、フリックがリィナの腰に結わえてあるカードを見て問う。

「そいつでは占う事は出来ないのか?」

カードの事を言われ、リィナはそっと腰のカードに手を這わせる。結び目を外し、両手で大切なカードをそっと包む。

「私が占うのは、失せ物や他愛の無い恋占い。金運や健康運とかね。…あまりにも大切な事は占わない。
カードを教えてくれた人が言っていたの。『人生に関わる事は決して占ってはいけない』と。
道を指し示す程度ならいいけど、道を決めてしまう事はいけないって…。どうやら私はカードの才があったみたいだから、余計にね」

「…そうか…」

頷くフリックの傍らで、リィナは小さくくしゃみをする。小鼻をすするリィナを、フリックは黙って引き寄せる。

「こうすれば、少しは温まるだろ?」

何気なく行動したつもりだが、どうやらリィナに苛めるネタを作ってしまったらしい。

「あら、私は高いのよ?」

妖艶に笑うリィナの美貌を間近に見て、フリックは思わず顎を引いて背筋を伸ばす。
何時の間にか、自然と心を許して話していた所為かリィナのこういう面を忘れていた。
急に意識し始めると、いつもは気付かない程のリィナの芳しい香りが気になってしまう。

「おっお前なぁ! いっつもそういう事ばっかり言ってるけど、18だろ!? 少しは歳相応にだなぁ…」

思わずオヤジ臭い事を口走るフリックだが、思いも寄らない反撃に遭う。

「あら、悪いけど私はいつもこうやってきたのよ?」

「いつもって…」

「サウスウィンドを脱出出来た時の事、まさか忘れていないわよね? 
今までアイリとボルガンと
3人で旅をして来た時も、何かあった時は一番年上の私が何とかしなくちゃならなかったから、
気が付けば自然とこうなっていたのよ」

リィナの言葉を聞き、フリックは自分がリィナの事を何も知らない事に気付く。

「ずっと3人でいたのか? 親は…?」

今度は自分の身の上話になってしまい、小さく肩をすくめるリィナだが、膝を抱えると話し始める。

「元々は大きな旅芸人の一団だったのよ。家族でそこにいたわ。でも、やっぱり戦いの所為ね。
いつのまにかバラバラになってしまって…。両親は殺されたわ。ボルガンの両親もね。私は二人をつれて逃げてきたの。
それから、何とか生きなきゃと思って
3人で旅芸人を続けて来た、それだけよ」

あっさりと話し終えたリィナに、フリックは何と声を掛けたら良いのか逡巡する。歳が一つでも上ならば、自然と頼られてしまう。
兄弟姉妹として育ったなら尚更だ。一人で世間の矢面に立ち、世間の渡り方を学びリィナは今のリィナになった。

「…平和な世なら…せめて、俺達が作り上げたトラン共和国でなら…違う生き方が出来たかもな…」

フリックの言葉に、リィナはけろりとして言う。

「あら、こんな世でなければ私達巡り合う事は出来なかったわよ? それとも私とは出会わなかった方が良かった?」

またしてもリィナ特有のパワーで押され、フリックは苦笑いをして手を振る。

ふと、気付いた様にフリックは少し顔を赤らめて問う。

「やっぱり…色仕掛けを使うんだったら、その…」

「ええ、目的の為なら使えるものは使うわよ。体でも何でもね」

どちらが年上か分からない状況で、フリックはリィナの言葉に耳まで赤くなる。

「やだわ、もう。27なんでしょう? いい歳した大人が…」

フリックを見て笑い始めるリィナ。

「わ、悪かったな!」

そっぽを向くフリックを見て更に笑いながら、リィナはそろそろ戻ろうとして立ち上がる。
が、フリックのマントを踏んづけてしまいバランスを崩して彼の上に転倒してしまう。

「っきゃ…」

「わっ!」

リィナの華奢な体を受け止めるフリックだが、肉付きの良い胸元がもろに顔面に当たってしまい、動揺して彼自身もバランスを崩してしまう。

ドサッ

堅い石造りの床に背を打ちつけ、呻くリィナ。その上にフリックが覆い被さって来た。更なる圧力が加わってリィナは口を喘がせる。

「わっ悪い…!」

慌てて上半身を起こすフリックだが、苦しそうに咳き込んでいるリィナを見て、焦って彼女の安否を尋ねる。

「大丈夫か?」

暫く小さく咳き込んでいたリィナだったが、涙目の目を開けるとゆっくりと起き上がり、フリックの首に両腕を回すといきなりキスをした。

「わっ!?」

飛び退くフリックに、リィナはにやりと艶やかな笑みを送る。

「仕返しよ。か弱い女一人くらい、まともに受けとめてよね」

そう言うと、フリックから借りていたマントをそのまま彼に掛け、階段へと向う。
その時、階段の方から駆け上がってくる足音が聞こえてきたかと思うと、シーナが現れた。

「あ、いたいた。探したんだけどなぁ、リィナさん」

相変わらず女の尻を追い掛け回しているシーナに、リィナは無敵の笑顔を向ける。

「あら、そうだったの? 知らなかったわ」

リィナの後方に座り込んだままのフリックが居るのに気付くと、眉間に皺を寄せてフリックに話し掛ける。

「おいおい、フリック。愛剣オデッサを下げたまんま浮気かぁ? やるなぁ」

「ちっ違っ」

慌てふためくフリックを振り向くと、リィナは艶やかに微笑みシーナに付け加える。

「おまけに私の事押し倒したのよ? この人」

「あああっ!?」

自分の狙っているリィナに先に手を出され、激昂したシーナが声を上げる。
負けじと大声で反論しているフリックを後に、リィナは男二人を残してゆっくりとアイリとボルガンが待っている場所へと戻って行った。 

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