緋竜の美剣士



宿場町に滞在して数日が経った。翌日には、再びトネルト王国を目指して旅立とうとしていた夜。

その夜は風が強かった。

ただの強風ではない。嵐が間近まで近付いて来ているのかと思える程に、強烈な風だった。しかし、夕方までは良い天気だったし、嵐が来るという情報も届いていない。

宿場町の人々は不安な顔つきをしながら、ガタガタと鳴る窓から外を眺めていた。家畜達も怯えた様子で落ち着かない。

ここ数日通っていた食堂で、三人揃って食事を終えた時だった。ナプキンで口を拭いながら、オースティンはボソリと呟く。

「………………まさかな…」

窓の外の、黒々とした影になっている木を見ながら、彼は精悍な顔を僅かに顰めた。木は風に嬲(なぶ)られて、苦しそうに身を捩(よじ)らせている。

「何が?」

ゴクゴクと水を飲み干し、ウェイトレスにおかわりの水を頼んでからスカビアスが尋ねる。

「…………ガレオーンに居た時も、何度か出食わしたんだが…風の魔物だ。今日のこの風の様に、それまでの天候など全く無視していきなり夜になると強い風が吹き始める。そして、それがピークにまで達すると風の中から魔物が現れるんだ」

何処となく暗い目をしてオースティンが語る。

「その数は半端じゃない。だが、少しでも剣の切っ先が掠ると砂の様に崩れ去る。それでも幻ではない。数に押されて死んだ者もいるし、俺も確かに傷を負った。…そういう事件が、ここ数年起きている」

あからさまに嫌ぁな顔をして、スカビアスが先を促す。

「……もしかして、この風がそれに似てる…とか?」

まだモグモグと口を動かしながらも、不安そうな顔をしているマトウォーネをちらりと見てから、オースティンは小さく頷く。

沈黙。

ややあってから、スカビアスは引き攣った笑顔を浮かべてマトウォーネの肩をポンポンと叩く。

「…………………ま、まぁ、夕立なんてもんもある事だし」

「大変だああああああぁぁぁぁっ!!!!!!」

絶叫する男の声を聞き、瞬間スカビアスの顔は泣き顔になる。

騒々しい音を立てて食堂に駆け込んで来た男は、蒼白な顔をして辺りを見回し、オースティン達三人に目を留めると必死な顔で言った。

「あんた達戦士だろ!? 急に魔物が襲ってきたんだ!それも半端な数じゃない! 戦ってくれてる人もいるんだが、人手が足りない! 助けてくれ!」

「……………どっかで聞いた話だ」と思いつつ、スカビアスはコクコクと頷いて立ち上がる。オースティンは既に、テーブルに立てかけてあった剣を手に取っていた。マトウォーネは慌ててパンの欠片を口に詰め込むと、水でそれを喉に流し込んだ。

「行くぞ」

オースティンが先頭に立ち、食堂を出る。それを追い駆けながら、スカビアスが辟易とした顔で訊く。

「なぁ、半端な数でないって……どんだけ?」

それに、オースティンは前を向いたままそっけなく答えた。

「安心しろ。朝方までには片付く」

「うえええええええええええええぇぇぇぇぇぇ」



 「マトウォーネ! 離れるな!」

オースティンの怒鳴り声が遠くから聞こえる。だが、それも激しい風の音に巻かれて、しっかりとは耳に届かなかった。

「はい!!!」

それでも、マトウォーネは精一杯の大声で返事をすると、水の精霊の力を借りて右腕に出来てしまった傷を治癒する。

オースティンが語っていた通り、魔物の数は半端ではなかった。辺り一面魔物だらけで景色が見えない。丁度、祭か何かをやっている時の街中の雑踏に似ている。それでも、今の状況がそんな愉快なモノではない事は、辺りに響き渡る悲鳴や怒声、そして何よりも流された血が物語っている。

魔物の攻撃を躱していたり、近くにいた負傷兵を癒したりしている内に、マトウォーネはオースティンとスカビアスから離れてしまっていた。それでも、まだ辛うじて姿を確認出来る距離なのだが、その間をびっしりと遮っている魔物の所為で、近付くのは容易ではない。

震える膝を叱咤し、攻撃用の呪文(スペル)を唱える。

思えば、戦うのは初めての様な気がする。やらなければ、こちらがやられる。現に右腕に負った傷は思ったよりも深く、出血も酷かった。それでも、マトウォーネは目の前にいるモノを傷つける事を躊躇(ためら)っていた。

先程から火の精霊が彼女を心配してウロウロとしているのだが、マトウォーネは火の精霊を呼び出すつもりはなかった。町の中で火の呪文を解き放てば大変な事になる。殺傷能力が高く、攻撃呪文の中では一番とは言え、この風に乗れば最悪な場合、町全体が全焼になる恐れもある。

それでも、彼らは心配してくれているのだから、この騒ぎが落ち着いたら後で礼を言わなくては。

「うわぁっ!」

近くで悲鳴が聞こえ、マトウォーネはそちらを振り向く。

町の住民であろう男性が不意を付かれてなぎ倒され、倒れた所を次々と魔物が襲い掛かっている所であった。

「駄目ぇっ!!!」

マトウォーネは叫び、急遽(きゅうきょ)唱えていたを呪文(スペル)解除して別の呪文(スペル)を唱え始める。攻撃用の魔法を使えば、男性も巻き添えにしかねない。この強力な風の中で、一体どれだけの風の精霊がこちらについてくれるかは分からないが、この場合、風で上に乗っている魔物をふっ飛ばしてしまった方がいい。

男性はもがいて剣を振り回しているのか、男性の周りの魔物は次々とその形を崩している。だが、それ以上に魔物の数は凄まじかった。

高速で唱えた呪文(スペル)が完成し、最後の印を結ぶ。

空弾砲(ウィン・ディザー)!!」

突き出された両手から、凄まじい圧力を伴った空気の大砲が打ち出され、その軌道上にいた魔物達は空圧に耐え切れずに霧散してゆく。

男性にも多少の衝撃はいったかもしれないが、地面に倒れている状態なので、それ程の衝撃は無いだろう。

「大丈夫ですか!?」

最早、自分の容姿の事など失念していたマトウォーネが、男性に駆け寄る。男性は至る所に傷を負っていたが、幸いにも深い傷は無さそうだ。

マトウォーネはしゃがみ込むと、すぐに回復の呪文(スペル)を唱え始める。

男性は、傍らにしゃがみ込んだ少女の姿を見て一瞬ぎょっとした顔をしたが、少女の精霊術によって自分が癒されているのを感じると、温かい力に癒される恍惚の表情を浮かべた。

「! 危ない!」

が、マトウォーネの背後に魔物が迫り来るのを見ると、飛び起きて剣を振り回す。風の魔物は少しでも傷を与えれば消滅するので、さっと一薙ぎした程度だ。が      

「なっ!?」

びくともしない。実物だ。

いつのまにか、この騒ぎに触発されて何処かからやって来たのか、本物の魔物が混じっていたのだ。赤い目を爛々(らんらん)と光らせ、凶悪な鉤爪を振り翳す。

頭が混乱して、体が咄嗟に動かなかった。唇は何か呪文(スペル)を唱えようとしているのだが、頭のまとまりがついていない為に言葉の配列がなされていない。これでは精霊としても、力を貸したくてもどうする事も出来ない。

「マトウォーネ!!!」

遠くでスカビアスが悲鳴に似た叫びを上げたのが聞こえた。

ボグッ

鈍い音がした。

体にぬめりとした液体がかかる。物凄い臭気。

体液を飛ばしながら、何かが体の上に倒れてくる。

「あ…あ………あ………」

酷く驚愕し、狼狽した声が漏れる。

「大丈夫か?」

体の上と下を、半分から断たれた魔物の死体をどけてやりながら、一人の剣士が座り込んでいるマトウォーネと男性に声を掛けた。

「は……はい……」

片手で動悸を押さえながら、マトウォーネは何とか返事を返す。それを聞いて剣士は白い歯を見せると、少女の腕を掴んで立たせる。力強い腕だった。

「立てるだろ? まだ頑張れるなら戦え」

まだ座り込んでいる男性に、剣士は言葉を掛けた。

「マトウォーネ!! 大丈夫か!?」

オースティンの声がし、そちらを見ると魔物を薙ぎ払いながら懸命に彼がこちらにやって来る所だった。スカビアスも敵の多さに悪態をつきながらも、必死にこちらに向おうとしている。

「大丈夫です」

マトウォーネの返事を聞いて、二人はホッとした表情を浮かべる。が、すぐに新手の相手をしなければならず、忌々しい顔をすると剣を振り回した。

「この娘は俺がついてるから!」

剣士がオースティンとスカビアスに向って言う。凛とした声だ。

「頼む!」

魔物の壁の向うから、オースティンの声がそれに応えた。




どれだけの数の魔物を倒しただろうか。剣を持つ腕が痺れ始めた頃、魔物達は現れた時同様に突然姿を消した。あれだけ無尽蔵にいたというのに、その全てが夢だったのかと思える程に綺麗に、一匹残らず姿を消した。

「………………………」

呆けた顔をして、スカビアスが座り込む。乾いた音を立てて、ザンという恩人から貸してもらったという剣が、地に落ちた。

いつもと変わり無い、宿場町の通りだ。

空が白んでいる。

力尽きた顔でぐるりを見渡すと、方々に誰もかれも精根尽きた表情を浮かべていた。

座り込む者。壁に凭(もた)れる者。剣を支えにしてやっと立っている者。それぞれ格好は様々だが、皆一様に同じ顔つきをしていた。

オースティンでさえも、押し黙って俯いているというのに、マトウォーネを助けてくれた剣士は一人でピンピンとしていた。

明るくなってきた中で見ると、彼は男性としてはやや小さめだが、すらりとした青年だった。丁度、歳の頃はオースティンとスカビアスと同じ位だろうか。

全身をマントで包み、頭部はフードを被っている。おまけに口元はマスクで覆ってしまっている為に、顔立ちはよく分からない。しかし、肌は浅黒いという事と、炎の色そのものの様な緋色の目をしている事は確認出来た。

「…立てる?」

青年がマトウォーネに手を差し伸べる。革の手袋に包まれたその手に、マトウォーネは有り難く掴まらせてもらい、何とか立ち上がる。

「…………礼を言う」

重い体を引きずってこちらにやってきたオースティンが、青年に礼を言う。

「いいって事よ。それより、いい宿知らないか? 俺ここに着いたばっかりだから、まだ宿も見付けてないんだ」

風で巻き起こる砂を防いでいたマスクを外すと、細く尖った顎の上に形の良い唇があった。ニッと笑いの形に唇が歪むと、悪戯っぽい八重歯が覗いた。

「帰って寝るべし。予定変更〜…」

よろよろと歩きながら、スカビアスがそう言って宿へ向って歩き出す。通りすがりにマトウォーネの腕を掴むのを忘れていない。

「……という事だ。俺達の泊まっている宿なら空きはあった筈だが」

オースティンの声に、青年は頷く。

「ん、同じ所にする。馬連れてくるからちょっと待っててくれるか?」

そう言って青年は町の入り口の方に走って行った。




宿に戻ってから死んだ様に眠り、目が覚めると夕方前になっていた。

二人の部屋のドアをノックすると、額を赤くしたスカビアスがマトウォーネを迎え入れた。

「…どうしたの? そのおでこ…」

ムスッとしたオースティンが言うには、スカビアスが寝惚けて夢の中で魔物相手に立ち往生していたらしい。そのとばっちりをオースティンが受け、怒って反撃したという事である。

「ひっでぇよなぁ…」

ブツブツ言うスカビアスを尻目に、中途半端な時間だが酷く空腹なので、いつもの食堂に行く事にした。

「…あれ?」

赤いギンガムチェックのテーブルクロスの上に、二人分の食事を並べてそれをパクパクと食べている人物に、スカビアスが声を掛ける。

「あんた、昨日…今朝の…?」

「ん? ああ、どーも。おはよ」

鶏肉のクリーム煮込みを食べ終え、その皿を奥に押しやると子牛のステーキに取り掛かる。呆れる程の食欲を見せながら、マトウォーネの恩人はけろりとして挨拶をした。

「あの、昨日…あれ? 今朝は有り難うございました」

ペコリと一礼をするマトウォーネに、浅黒い肌の青年はむぐむぐと口を動かして、口の中の物を飲み込んでから応じる。

「いーのいーの。可愛い女の子の為ならいくらでも」

今はマントもフードも被っていない。

露になった顔は端正だ。肌の色が濃い為に気付きにくいが、物凄く睫毛が長い。きりりと吊り上った眉毛も、凛とした緋色の瞳も美しい。

「あ…」

マトウォーネが口を半開きにしたまま、言葉になる直前の音を漏らす。記憶の中に確かにある「何か」が、美青年剣士の素顔を見た瞬間脳裏を掠った。が、その「何か」を究明する事は出来ない。それはサッと通り過ぎて、もう戻っては来なかった。

「どうかした?」

呆けているマトウォーネに、青年は声を掛ける。

朱鷺色…とでも言うのだろうか。白に近い、血色の良い人の肌の様な赤みがある色。そのたっぷりとした髪が地毛であろう見事なウェーブがかかっているのを、無雑作に頭の高い場所で一つに括っているのを見て、マトウォーネは慌てて「何でもないです」と首を振る。

「一緒に座っていい? ″俺のマトウォーネ助けてくれた礼も言いたいし」

何やら対抗意識を燃やしているスカビアスが、妙に爽やかな笑顔を浮かべてそう言った。青年が陣取っているのは、四、五人用の大テーブルだった。

「ん、どーぞ。伝票は別ね」

きっちりとそう言って笑い、青年は三人に椅子を勧める。

見るも美麗な三人の青年に、食堂のウェイトレス達が厨房の方できゃあきゃあと騒いでいる。同時に、マトウォーネは痛い程の敵意を感じていた。

「時々、生身の奴も混じってるんだよなぁ…」

青年は流れの傭兵で、名はドラゴンと名乗った。昨夜の事を思い出しながらそう言い、最後に「あん畜生め」と付け足す。

三人の自己紹介を聞いてから、ドラゴンは「ん?」という顔をし、オースティンの顔を凝視する。

「………………何だ?」

訝しげな顔をするオースティンに、ドラゴンは「違ったら悪いんだけどさー」と断ってからズバリと言う。

「ガレオーンの『少年将軍』でない?」

少しの沈黙を置いて、オースティンが頷く。それを確認して、ドラゴンは御機嫌な顔になると指を一つ鳴らした。

「やぁあっぱり! その目といい、妙にジジ臭いトコといい、不機嫌そうなツラといい…やっぱりなぁ…」

ズバズバとそう言って、彼は一人でうんうんと納得している。横でスカビアスとマトウォーネが必死に笑いを堪えていた。

「……………………何処かで?」

妙な沈黙をしてから、オースティンがドラゴンにそう問う。

「あ、いや。俺らは逢った事はねェけど、ルーカスが」

「ルーカス将軍!?」

ドラゴンの言葉が終わりきらない内に、オースティンが珍しく大声を上げて狼狽を見せる。常にクールで冷静な彼からは想像も出来ない姿だった。切れ長の目は見開かれ、いつも一文字に結ばれている唇は、何か言いたげに半開きになっている。

びっくりして顔を見合わせるスカビアスとマトウォーネを見て、オースティンは自分の失態に気付き、一瞬でいつもの顔になると非礼を詫びる。

「…済まない、取り乱して。しかし……将軍の知り合いか?」

ドラゴンは悪戯が成功した様な、嬉しそうな顔をするとミートパイをサクサクと食べる。口の周りに付いたパイ皮を指先でほろうと、オースティンの求めている答を教える。

「一緒に旅してたんだよ。お前の話はよく聞いてた。まだ若いけど、いい器がいるって。まぁ、あいつはしょーもないからガレオーンにいるよりも、フラフラしてた方が多かったからなぁ…。いや、本人に代わって謝るよ」

話を呑み込めていないスカビアスとマトウォーネに訊ねられ、オースティンは簡単にルーカスという人物について説明した。

「俺の前のガレオーン将軍だ。将軍でありながら、よく軍からフラフラ離れてて…。確か、女の為だかでガレオーンを辞めていったんだが、その際に俺を将軍候補として推してくれた。軽そうに見えるが、人としてとても大きな方だった」

ドラゴンは、オースティンの言葉を嬉しそうに聞いていた。まるで自分自身が誉められているかの様に、誇らしそうな顔だった。

「今は…?」

オースティンがルーカス前将軍の消息を尋ねる。ドラゴンは穏やかな顔をして、自分の持っている剣をオースティンに見せた。

「………………………」

その意味にオースティンは押し黙る。

ドラゴンの使っている長剣は、かつてルーカスが腰に下げていた物だった。

「………どうして?」

溜め息と共に出された質問に、ドラゴンは目に強い光を灯らせて答える。信念と決意の篭った目だ。

「風の魔物を創り出している奴に殺られた。タフルの近くにあったユーブっていう町が消えた事件は知ってるだろ? あの爆発の中にいて…痕跡も無いもんさ」

タフルというのは、五大王家があるこの大陸の北東部で一番の大きさを誇る大都市である。それぞれの国の城下町と比べればその大きさは劣るが、城を無しに商業のみで発展した都市だ。五大王家の会議なども、中間地点としてタフルが使われる事も多い。

そのタフルの近くにあったユーブという大きくもなく、小さくもない町が、突然物凄い魔法の大爆発により地図上から消滅したという事件は、一年半前程に世間を騒がせ、今もその謎を解明すべく調査団が付近を調査している。

「…あの、お話の途中にすみません。あの魔物達は誰かによって創り出された物…なんですか?」

やや顔色を悪くしてマトウォーネがドラゴンに問う。それもそうだ。あれ程の数の魔物を召喚ないし、生成しているともなれば、それは考えられない程の術者だ。

ドラゴンはそれまでの陽気そうな表情を消し、深刻な面持ちで頷く。

「ああ。とんでもない奴だ。ユーブを消したのも他でもない、奴一人の仕業だ。他にもある。十三年前のバレンティヌス落城事件。あれも奴の手によるものだ」

血の気を失ってオースティンとマトウォーネは沈黙する。

大陸一の大国バレンティヌスの城「だけ」が、一日にして落ちたという事件は、辺境に住んでいたマトウォーネも知っていた。当時の王である獅子王カルバディースは崩御し、その賢妃アグリピナも殺され、四人の王子・王女達は揃いも揃って行方不明だ。十三年も経ってしまった今では、生存の望みも薄い。

バレンティヌスの王も、後を継ぐべき王子・王女達も奪われてしまった国民達は、それでも正当な継承が無い限り、他の王家の人間を王として認めないでいる。

バレンティヌスの正当なる王は、国の守護神である海王の信託によって認められなければならない。その信託が、十三年経った今になっても出ていないのだ。それを、行方不明の王子・王女が生きている証だとして、国と王を心から愛している国民達は、大臣達が取り敢えず≠セと言っても、他の者を王として認めないでいるのだ。

それでも王のいない王国など存在していい筈が無い。民には「取り敢えず」という名目で、王家の血筋に一番近い者が現在王座に座っている。その新王を支える者達と、代々の由緒正しい旧王派とが激しい派閥闘争を繰り広げ、かつては王家の人柄もあって陽気で活気に満ちていた王城も、今は水面下の動きに日々画策とする場所に変わってしまっている。

大陸一の大国という肩書きを得たのは、ひとえに民と王家との信頼関係が基礎にあったからだ。それが崩れた今、幾ら大国バレンティヌスとはいえ、ゆっくりと衰退していくだろうというのが世に囁かれている読みだ。

「…………………よくわかんないけど、それって大変な事なの?」

バキッ

オースティンのアッパーと、ドラゴンの左ストレートが同時に決まる。

声も無く崩れ落ちるスカビアス。

「……この大陸を支えている五大王家の、しかも一番の力を持つ大国バレンティヌスを一日にして落とす事が出来るんだぞ? それがどんなに大変な事なのか少しは頭を使って考えてみろ」

「信じられん」という顔をしてそう言うオースティンに、スカビアスは殴られた二ヶ所を擦(さす)りながらマトウォーネの陰に隠れる。安全な場所に避難してから「えぇと?」と事を反芻するスカビアスに、殺気立った視線が向けられる。

「この大陸そのものが、その人にメチャクチャにされる可能性もあるって事だよ。もしかしたら、他の大陸も」

マトウォーネがポソリと耳元でそう教えると、スカビアスはふんふんと頷き、ややあってから事態の大きさに気付いたのか物凄い顔をし、今一度前に進み出ると大イバリな顔で発言する。

「そりゃあ大変だ!」

『遅い』

すかさずオースティンとドラゴンのダブル突っ込みに合い、一度は立ち直ったスカビアスはすごすごとマトウォーネの後ろに退散する。

「…とにかく、俺は仲間だったルーカスの仇と祖国の仇を討ちに旅してる訳。風の魔物に混じって時々姿を現す事もあるらしいから、今は一応風の魔物を追ってるトコなんだ」

パンをむしっと千切り、それを口に押し込んでもぐもぐしてからドラゴンが言う。

「ふーん…ま、仇討ちってトコは同じだなぁ」

広げたナプキンを頭に被り、マトウォーネに「汚い」と怒られながらスカビアスは言った。ドラゴンはもう数年間も放浪生活をしているらしい。相手の事がよく分からぬままの仇討ちというものが、どんなに大変な事なのかを目の前にいるドラゴンが証明している。

スカビアスの呟きを耳にして、ドラゴンは同席している三人もどうやらそれぞれの重い過去がありそうな事を察し、複雑そうな顔をした。

「出発は明日の朝にする。今日は食事を摂ったら寝るぞ」

そんなに混んでいる訳でもないのに、やっと運ばれてきた料理に口をつけてから、オースティンが連れの二人に言う。それにマトウォーネはスープを一口飲んでから「はい」と返事をし、スカビアスは口に物が入った状態で、何やらもごもごと返事をする。

「行き先、訊いてもいいか?」

食後の茶を飲みながらドラゴンがオースティンに問う。男にしては繊細な指が、銀色のスプーンを持って琥珀色の液体をかき混ぜている。

「取り敢えずは、ガレオーンを退役したという報告をトネルト王にしに行く所だ。俺達は共に旅をする様になってから、まだ数日しか経っていないのでな。取り敢えず当面の事は、その報告が終ってから考えるつもりなんだ」

食事をするマトウォーネを見て「可愛いなぁ」と呟いてから、ドラゴンは提案する。

「なぁ、俺タフルまで向かうつもりなんだけど、途中まで一緒していいか?なんせ一人なもんだから、宿もあまし泊めたがらなくてなぁ。狭くて汚ねぇトコしか泊れないんだ」

彼と話をしていて、人間的に好意を持ち始めていたオースティンは「俺は構わないが」と言って二人を見る。彼自身も尊敬していた、ルーカス前ガレオーン将軍と共に旅をしていた者ならば信頼出来る。

「人手あった方が何かと便利だし。俺は全然構わないけど…………ただし、マトウォーネに色目使わない事」

そう釘を刺してスカビアスは了承する。そのスカビアスをどついてからマトウォーネも快く頷いた。

「よろしくお願いします」



「ドラゴンさんって、凄く風と雷の精霊に愛されているんですね」

翌日、再びトネルトに向って出発した三人は、新しい道連れであるドラゴンと共に街道を進んでいた。

ドラゴンの隣まで馬を進ませてマトウォーネが言う。実際、マトウォーネは『可視』の術を使わなくても精霊を見る事が出来た。風の精霊界の住人である精霊達は、ドラゴンの周りをくるくると舞っている。

「ぁ………………見えるんだ」

何故か少し顔を強張らせて、ドラゴンはそれに応える。マトウォーネも、その理由は何となく察する事が出来たのだが、本人から言い出さない事については黙っている事にした。

「はい」

取り敢えず言葉上での返事をしてマトウォーネは微笑む。

「ま…一応得意な分野なんだけどな。友達から『雷帝』の名も貰ったし…」

「ほう…『雷帝』か…。確か、ハイ・エルフの…」

そこまで言いかけたオースティンに、ドラゴンはパキリと指を鳴らす。

「ビンゴ! 元『雷帝』を名乗ってた、ハイ・エルフのハルフィンだ。あいつもルーカスと一緒に俺と旅してくれてたんだ。あいつからは魔法を教わった。今は…故郷のエルフの里に戻ってる筈なんだが…」

昔、一緒に旅をしたメンバーを懐かしげに思い浮かべながら、ドラゴンは(くすぐ)ったそうに目を細める。

「…それにしても…」

ふと、ドラゴンは真顔になり、マトウォーネ、オースティン、スカビアス三人をじぃっと凝視する。

「…何だ?」

オースティンが無愛想に反応した。

「いやぁ、揃いも揃って珍しい目の色してるな〜…って思ってさ。マトウォーネだっけ? その娘も珍しい髪の色してるし」

ドラゴンの邪気の無い台詞だったが、マトウォーネは一瞬にして羞恥の為に耳まで赤くなった。

黒い色は『忌み色』。アルスでは皆、普通に接してくれていたが、外界に出てそれがどんなに珍しく且つ好奇の目で見られるかを、身を持って体験している最中なのだ。

「…おい、言葉慎めよ」

マトウォーネの反応を素早く察して、スカビアスが剣呑にドラゴンに唸る。もし距離が近ければ胸ぐらを掴んでいたかもしれない。

「…スカビアス、スカビアス…いいの。私は大丈夫だから」

か細い、それでもしっかりとした声でマトウォーネがそれを制する。宿場街に入る前に、オースティンとスカビアスに約束したのだ。彼らを信じると。これは自分で超えなければならないハードル。庇ってくれるスカビアスの心遣いはとても嬉しいが、それでは自分は一生人の陰に隠れたままで終わってしまう。

「分かった! ごめん! 謝る」

ドラゴンも可憐な少女をいたく傷付けてしまったかもしれない事に焦り、即座にマトウォーネに謝る。

「いいえ…平気です。自分の問題は自分でちゃんと…いつか解決しなきゃなりませんし…ドラゴンさんが心配して下さるのは嬉しいですけれど、私、大丈夫です」

精一杯の笑顔でマトウォーネはドラゴンに微笑みかける。

「あーあ、タフルまで一緒かぁ…もっと長く一緒に居たい気分だな」

ドラゴンがわざとスカビアスを挑発する様な発言を、茶目っ気たっぷりな笑顔で言い放つ。

やはりそれに素直に反応したスカビアスが、顔を真っ赤にして怒る様子を、他の三人は苦笑して見ていた。

 

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