起源


 約束の地、叶

 男と女が出逢った。

 何処にでもある出逢いかもしれない。

 だが、少なくともその出逢いは男の運命を変えた。

 そして、女の人生を狂わせた。

 そして、一つの世界の秩序を乱した。


 迦陀羅(カダラ)暦 壱千弐百九拾七年。

 人は独自の文化を持ち始めた。
 狩と採集の時代は終わり、農耕の時代も終わり、支配者と戦争の時代も終わった頃である。

 それぞれの聖域には、神殿が建てられた。
 そこに巫女と神子は住まい、神殿を守る戦士によって護られた。
 人々はそれぞれの聖域で平和に暮らした。


迦陀羅暦 壱千九百四拾五年。

 人は掟を作った。

 『四神の力、交わる事なかれ』と。

 戦の時代、人々は四神のどの神が最も優れているかを争った。それは、討論だけでは済まなかった。
 人は自分の信念を他人に押しつける。それが最も正しいものだ、と。

 それを巡って争いは起こる。

 誰も真実に近付く者はいない。全てが善か悪、そのどちらかに無理矢理に収められようとするのだ
 
口で分からなければ、手が出る。

 守護の民は、四神の石碑から神秘の力を受け、それぞれの能力を行使する事が出来た。

 火の民は火の能力を使い、敵を焼いた。地の民は地の能力を使い、地割れを起こした。水の民は水の能力を使い、敵を氷の礫で打った。風の民は風の能力を使い、敵を吹き飛ばした。

 その様にして、愚かしい戦争が起きたのだ。
 それを恥じ、悔い改め、人は掟を作った。

 四神はどれ一つとして欠けてはいけない存在。どれにも優劣をつけてはいけないと。そして、取り敢えずは平和な時代がやって来たのだ。

 守護の民の長老達は、四つの石碑の力が及ばぬ土地の中心地に「挟(ハザマ)」と呼ばれる中立都市を造った。そこは唯一、他の守護の民との交流が許された地であった。また、挟を含む聖域ではない土地は挟共区として誰もが通る事を許された。

 それぞれの文化が入り交じる挟は、それらを吸収してどんどん巨大化した。異なる守護の民同士で愛し合った者達はそこに住み着いた為、人工もどんどん増加していった。

 に永住するという事は、四神の恩恵である力を放棄する事になる。四神の力はそれぞれの石碑から発せられている為、そこから長い間離れていると、次第に力は失われてくる。それでも四神の民としての力より、愛する者と共に生きる事を択る者は多かった。

力を持たない普通の人間となる事を選んだ者達を、四神の恩恵を拒む異端者だと言う者もいた。だがそれも一部の者で、大抵の者は世が平和でありそれぞれが愛する者と結ばれるのなら、それはそれで祝福すべき事だと思った。時代は変わったのだ。

異なる守護の民の間に生まれた混血の者は、多くの者は挟で人間として暮らした。親のどちらかの聖域で暮らせば、その能力を得る事は出来る。だが、大陸の人口の大半は純粋な守護の民の血を持つ。その純血達の間で生活していこうと思う混血達は多くはなかった。

 四神の勢力圏の接点。文化の交流地。全てが終わり、始まる地。

 挟。

 全てはそこで始まった。


 迦陀羅暦 壱千参拾弐年。

 挟はその日も多くの人々でひしめいていた。

 人種という枠を越え、そこでは全ての者が同じ人間として、一つの都市を息づかせていた。

 挟の大通りを一組の男女が歩いている。

 一見にして、彼らが火の民である事が判る。燃え盛る様な真紅の目と髪。そして、二人は兄妹であろうか。よく見れば、顔立ちが似ている。
 二人は仲むつまじく、通りの店を冷やかしながら歩いている。兄は妹の肩を抱き、妹は兄の腰に手をまわしていた。時折、何かを確認するかの様に、視線を混じらせて微笑み合う。その様子は、仲の良い兄妹と言うよりは、恋人同士と言った方が当てはまった。

 二人は互いを一人の男、女として愛していた。血の繋がった実の兄と妹である。だが、それは珍しい事ではなかった。

 挟という交流地点があっても、そこを皆が訪れている訳ではない。大陸・叶は広大で、聖域を一生出ないで生まれた土地で果てる者も珍しくない。聖域の端の方に住んでいる者にとっては、挟は全くの異世界だ。大抵の者は冒険をする事なく、聖域内で相手を見つけて結婚する。

 石碑の恩恵で、近親相姦でも奇形児が生まれないので人は安心して自由な恋愛を楽しんだ。そして、近親相姦は異端とも禁忌ともされない。逆に、狭の人間を異端と言う一部の人間に言わせれば、近親相姦こそが最も純粋な血を生み出すと言う事だ。

 その火の民の兄妹も、その例に漏れずに愛し合っていた。

 兄の名は牙炎(ガエン)、妹の名は焔(ホノオ)と言った。

牙炎は火の守護神殿を守る戦士であり、その中でも神子を警護する大役を担っていた。そんな彼を目指す男達が居、憧れる女達がいた。妹の焔も、彼の心酔者の一人であった。

妹のは両親の経営する武器屋を手伝っている、普通の娘である。火の民特有の目は大きく派手な印象の顔立ちだが、それでも火の民の中では特別に美しいという訳でもない。至って普通の、そこらにいる娘だった。

 その日は牙炎が久し振りの休暇を予定していた日であり、前から二人はその休暇を利用してに行く事を約束していた。には昨日到着し、今日はゆっくりと都市を見物している所だ。

 通りの反対方向から歩いて来た、火の民と思われる数人の少女達が牙炎に気付き、彼を取り囲んではしゃぎ始める。神殿に仕える戦士は、守護の民の誇りなのだ。牙炎は彼を囲む一人一人に丁寧に応対する。その騒ぎに人々が集まり始め、彼を知る者がその輪に入り、一緒に騒ぐ。

 はそっとその輪から抜け出すと、少し離れた位置からそれを見守る。こうして見ると、あの人だかりの中心にいるのが自分の兄であり、結婚を約束した恋人である事が、たまらなく誇らしかった。

 そうやって少し微笑んでその光景を眺めていた焔だが、立っていた場所が悪かったのか、いきなり背後からやって来た人物にぶつかられてよろめく。

 「!済みません」

 バッと焔は振り返り、自分が突っ立っていたばかりにぶつかってしまった人物に詫びる。

 「いや…俺こそ…よそ見をして歩いていた…」

 長身の男はたっぷり数秒経ってから、途切れ、掠れた声でやっとそう言う。

 焔を見た瞬間、男の脳は直接叩かれたかの様な衝撃を受けた。魂を底から揺さぶられる、狂おしい衝動。突き上げる情熱。全身を駆け巡る甘美な震え。

 焔の髪と目の真紅が、男の脳裏に焼き付いた。
 至上と感じた。

 初めて会った他の守護の民の少女に、男は懐かしい切なさを感じる。そして、この少女こそが自分が求めていた者だと直感した。

 眩しいものを見るかの様に、男は少し目を細めて焔を凝視する。

 焔もまた、感じていた。

 男と同じ想いではない。愛しいとか、そう言う感情の揺れは感じられなかった。だが、感情すらも問題にしない、とてつもない引力を男に感じた。

 人を惹き付けるカリスマ。男の持つ獣の部分。野生の本能。荒々しい強さ。一目で戦士だと判った。

 男の深い瞳に見詰められ、焔は震えた。自分が自分でなくなってしまいそうな錯覚。男の引力に絡め取られ、そのまま男と一つになってしまいそうな恐怖。

 恐い       

 引き込まれる       

 何かに憑かれた様な男の瞳が恐い。

 「焔!」

牙炎の声が、二人を現実に引き戻した。

音さえもその強力な力によって遮られていたのか、急に耳に挟の雑踏が蘇って正常に周囲の状況を知覚出来る様になった。

どうかしている。

 向かい合って固まっている二人を見て、牙炎は首を捻る。

 「どうかしたのか?焔」
 「あ…ぶつかっちゃって…」

 ほっとしたが何とか微笑み、男に会釈しながらさりげなく牙炎の後ろに隠れる。

 「済みませんでした。妹が…」

 「いや…」

 きちんと礼をしない妹に代わって今一度詫びる牙炎に、男はよく通る低い声で応える。もう、先程の掠れた声ではなかった。
 そしてそのまま、もう一度礼を言って牙炎は焔を連れて通りに戻り、人々の流れに紛れて姿を消した。

 その場に取り残された男は、ポツリと呟く。

 「…焔…

 口の中で焔名を転がす。

 そして、笑った。

 口の両端が吊り上がる。

 やっと見つけた。何かが足りないと思っていた、自分の求めるもの。運命の女。

 手に入れなければならない。どうしても。あれは俺のものだから。俺の為に生まれた女。そして、俺はあの女の為に生まれた。

 残忍に吊り上がる唇から、獰猛な獣を思わせる尖った歯がく。それまで静かに澄んでいた深い瞳が、様々な色に彩られた。その一つ一つは強烈な感情。その様な強い感情が一度に会する事は有り得ない。言うなれば       狂気。

 「…どうやって手に入れる…?」

 呟く。

 男には解っていた。あの兄妹が恋人の関係にある事を。互いを見る目を見れば解る。そしてそれは当然、男が望むものではない。相当深く結びついているあの二人を、どうやって引き離し、どうやったらあの女の興味は自分一人に向かせる事が出来るだろうか       

男はゆっくりと歩き始めながら、思考を巡らせる。頭の中にはそれしか無かった。それまで、彼の中に存在していた価値観や立場、彼に関わる周囲の人間への感情などは、綺麗さっぱり、消え去っていた。

まるで、一つの人格が完全に消え失せて、新しい人格が生まれたかの様だった。

だが、男は男。

何も変わっていない。

ただ、出会ってしまったのだ。


 『約束の地、

 男と女が出逢った。

 何処にでもある出逢いかもしれない。

 だが、少なくともその出逢いは男の運命を変えた』。

  

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