歓喜と絶望の夜
大陸・叶には四つの聖域があり、その中心に挟と呼ばれる都市がある。
狭を中心に、大陸の北部は守護神殿・玄武を中心とする水の聖域。南部は守護神殿・朱雀を中心とする火の聖域。西部は守護神殿・白虎を中心とする地の聖域。東部は守護神殿・青龍を中心とする風の聖域がある。
南部の火の聖域は火山帯である為、気候的に熱帯と言ってもいい程に気温が高い。岩山で出来た火山群と密林が、火の聖域の大体の景色であった。
牙炎と焔が挟から戻って来て、五日が経つ。
牙炎は神殿に戻って通常の任務に就いている。焔はいつも通りに武器屋で店番をしていた。小高い場所にある実家と、炎蕪(エンブ)という小さな村の広場にある武器屋を往復する毎日。
友達が店にやってきて無駄話に花を咲かせては、様子を見に来た父親に叱られる。それでも懲りずに他愛のない話を続け、狭での土産話やのろけ話をせがまれる。たまに、神殿の戦士を目標としている青年や、行商人などが刀を見に店にやってくる。夕方になれば店を閉めて、父親が帳簿を付けるのを待ってから少し広場をまわって、夕食のおかずになりそうな惣菜などを買ってから家に帰る。
変化と刺激を欠いたその生活に戻り、焔は安堵していた。
あの男とぶつかってから、焔は折角の牙炎との旅行を楽しめずに帰って来た。挟にいる間中、あの男とまた出会ってしまわないか気が気でなかったのだ。二人きりでいる事もままならない、忙しい兄と折角二人で旅行に来れたのに、愛しい男の言葉すらも上の空だ。
勿論、牙炎は妹の様子が怪訝しいのには気付いていたが、本人が何も言わないので敢えて訊く事をしなかった。また、焔としてもも牙炎には男の事を言うつもりはなかった。きっと気のせいだと一笑に伏されて終わりだ。自分でもそう思いたい。あれは一瞬の気の迷いだと。
だが、そんな心配も聖域に戻れば消えて無くなった。火の聖域に他の民が侵入する事はない。それは、絶対である『掟』を破る事になる。恐らく、もう一生出逢う事は無いだろう。そう思うと気が楽になった。あの時に感じた引力も恐怖も、毎日の平和な生活に少しずつ溶かし込んで忘れていこう。そう思った。
月の細い夜だった。
遠くで物凄い音が聞こえ、焔は飛び起きた。部屋の棚にある置物が、今の震動でカタカタと音を立てている。夜着の上にショールを羽織り、窓に駆け寄る。
風が酷く強く、家が軋んだうめきを上げていた。
音の原因は余りにも遠くだった為、どちらから聞こえて来たのか見当も付かない。火山の爆発とは違う。火山の爆発なら地震がある筈だ。それに、火山の爆音とはまた違う……爆音?…そう、爆音だ。そう表現するのが一番適当だ。
両親も起きただろうと思い、焔は裸足の足に部屋履きをつっかけて、階下へ降りる。案の定、居間の灯りは点いていた。
「母さん…今の…何?爆音…みたいな…?」
焔の質問に、父親が厳しい顔で答える。
「今、火急で知らせが届いた。…神殿が、何者かによって襲撃されたらしい…」
その言葉に焔は一瞬気が遠くなる。
神殿には牙炎が居る!
夜着にショールを羽織ったままと言う格好で外に飛び出そうとした焔を、母親が止める。
「止しなさい!焔!牙炎に余計な仕事を増やすつもりかい!?」
その声を聞いて、焔はドアノブに手を掛けて静止する。そうだ。牙炎の仕事は神子・巫女様を守る事。それが第一の任務なのに、他にも守らなければならない者が増えれば、その分牙炎の負担が増えるだけだ。
「牙炎は強い。お前の自慢の兄だろう?それを信じてあげなさい」
焔は窓に寄るとカーテンを少し開け、暗い表を見る。風が吹き荒れ、木々が身をよじらせている。予報でも夜に嵐が来るなど言っていなかった。それに、何だかいつもの嵐とは違う。まるで…意志を持っているかの様な不吉な風だ。そう思った。
「っぐあああああぁ!」
最後の一人が、全身を真空に切り刻まれて絶命した。
牙炎は大剣を上段に構え呼吸を整える。最早、後は無い。この背の後ろにあるのは、神子・巫女様がおわす間。何としてでも、ここは死守しなければならない。
荘厳で美しかった神殿は、最早その面影を失っていた。奇襲を掛けてきた風の民の男によって、太くて立派な柱は真空の刃によって薙ぎぎ倒され、辺りは火の海に包まれていた。神殿の警護戦士達は男に向かって火の能力を持って攻撃したのだが、風の盾によってそれは弾かれて辺りに燃え移り、爆発をも起こしていた。
辺りは警護戦士達の屍が、累々と転がっている。牙炎の上司も、同僚も、友達も、残さず赤い血を見せて倒れていた。
赤い炎。神殿の赤い内装。戦士達の赤いマント。赤い血。
赤という色を当然の様に好み、それを誇らしくすら思っていた牙炎だが、今はこの場から目を背けたい気持ちでいた。自分の好んでいたものが、この様に醜悪で邪悪に思える日が来るとは思ってもいなかった。
が、握り締めた大剣を微かに構え直し、しっかりと目を開いて『敵』を見る。
正に地獄絵図と形容できるその状況の中で、うっすらと笑みすら浮かべて悠然と立っている男。牙炎はその男に見覚えがあった。
狭で焔がぶつかった男。
だが、何故 ?
「何故?」、「どうして?」。
その言葉は今の牙炎にとっては、意味の成さないものとなっていた。掟を破る者が出るなど、考えた事もなかったのだ。どう対応すればいいのか判らなかった。
掟を破る者が出た場合、勿論その重罪人は処刑されるという事は知識として知ってはいる。しかし、実際目の前に悪魔の様な男がいるというのに、牙炎は掟が破られたという現実をまだ疑っていた。「これは何かの冗談だ」。そんな思いが心の何処かにへばりついて、なかなか剥がす事が出来ないでいたのだ。
それでも今自分がしなくてはならない事。それは、自分はこの男をここから先へ進ませてはならないという事。それだけは明確な意志として、酷く混乱している牙炎を支えていた。
突然だった。余りにも突然すぎた。辺境警備からの報告は何も受けていない。いつも通り平和な、神殿での生活だった。そこに突然、真空が襲って来、神殿は一瞬にして半壊。鍛えられた戦士達も、他の守護の民との戦いなど経験していない。いくらどんな犯罪者であろうが、殺してしまえば風の民との折り合いが悪くなる。そんな事を考えたりしている内に、仲間達は容赦なく殺されていった。
憐れみの欠片も見せない殺しぶりであった。男にしては楽な仕事であっただろう。神殿の戦士達はこちらを殺す事に躊躇しているが、こちらはお構いなしなのだ。しかも神殿の警護とはいえ、神殿に忍び込もうというせこい者を取り締まる位だ。こんな戦いが平和ボケした者達に降りかかって、それに対応出来る者が何人いただろうか。
戦士らしく敵に立ち向かって死ぬ事の出来たものは、果たして何人いただろうか。ほとんどの者は訳も分からぬまま、絶命していった。間の抜けた表情で、己が吐き出す血を不思議そうに見て死んでいった後輩。恐らく、自分が死んでしまった事すら解っていないだろう同僚。走っていたつもりだったのに、気が付けば両脚を腿の所から失ってしまっていた上官。
無念だろう。さぞや、無念だろう。
「…お前が最後、か」
男が心底楽しそうな声で言う。
「ここから先へは一歩も通さん!」
牙炎が大剣を構えたまま吼える。
だが、男はさらりと言う。
「そんなものに興味はない。俺の目的は貴様の命だ」
「な…?」
この男とは、あの日狭で一度会ったきりだ。あれだけで命を狙われる覚えは無い。牙炎は混乱した頭で、一生懸命心当たりを探す。
牙炎の知る神殿とは思えない場所で、彼は風の民の男と対峙している。全てが現実味を失っていた。炎が爆ぜ、熱風が牙炎の赤い髪を揺らす。それだけが、「これが現実だ」と伝えている。
火を司る朱雀の民である牙炎はともかく、風の民の男がこれだけの熱気の中で平気でいられる訳がない。男は全身を風の盾で包み、彼を襲う熱や炎から身を守っていた。
当惑した表情を浮かべている牙炎。彼の鎧が周囲の炎を鏡の様に映しているのを見てから、男は小首を傾げて口を開く。
「それと、もう一つ…」
付け加える。
「お前の 妹。焔を貰う」
男の言葉に牙炎は逆上した。
普段、冷静な彼らしくもなく。それだけ牙炎にとって焔は大切な存在だったのだ。己の力全てを業火に変え、大剣に纏わせて男に斬りかかる。強靭な脚が地を蹴って大きく跳躍し、剣を振り上げ
敗因は逆上した事にあった。
ガタガタガタガタ…
窓枠が風に震えて、神経質な音を立てている。
「風が強いねぇ…」
それが最後に聞いた母親の声だった。
ドゴオオォッ
外と家の中を繋ぐドアが吹っ飛んだ。
「何っ!?」
父親が咄嗟に妻と娘を背に庇って、ドアに向かう。
ズル…
ドサッ
重たい物を引きずる音がし、ドアの向こうの暗闇から赤い物が室内に投げ込まれた。二人の女を背に庇った父親は、自分の宝をいち早く認識する。
「牙炎!」
悲痛な叫び。
それが最後に聞いた父親の声であった。
赤い物と見えたのは、牙炎 焔の愛する兄の変わり果てた姿であった。赤い髪に赤い衣服、マント。そして、赤い血。
ゴオオオォォォッ
突然、強風が吹いたかと思うと、凄まじい真空の刃がそこらを荒れ狂った。焔はただ自分の身を抱き締めて、顔を伏せて床に座り込んでいた。
風が収まり、焔はそろりと顔を上げる。
照明が失われて、初めは目が闇暗に慣れず何が起こったのか解らなかった。が、次第に目が慣れて来ると焔の顔は、悲鳴を上げそうな表情に歪み出す。
部屋は滅茶苦茶だった。
家具は木っ端微塵に砕け、窓は割れ、カーテンはぼろ布と化していた。そして、赤い「もの」が一面に飛び散っていた。
闇暗の中で赤という色を認識出来たのは、月光の所為だ。あたり一面に飛び散った「もの」が、かろうじて窓枠の形を保っている十字型の影が映っている壁にも付着していたからだ。何か、ぐずぐずとした「もの」。
少しずつ空気が臭い出す。
血の臭い。
両親の姿は無かった。
そこにあるのは、赤い血にまみれた肉塊。人の「かたち」を留めてはいなかった。
焔はそれをみて茫然と座り込んだまま、動かなかった。真紅の瞳が驚愕に見開かれ、唇がわなわなと震えている。悲鳴を上げる事を忘れてしまい、何かの発作を起こす直前の様に喉がひくひくと痙攣している。
コツリ…
固いブーツの底が、床を踏みしめて音を立てた。
彼は言った。
「探したぞ 焔」
凄絶な笑みを浮かべ、男は手を差し伸べた。ダンスに誘うかの様な優雅な動作で。
「ひっ…………………あ……」
喉から出るのは掠れた悲鳴だけ。腰が砕けた状態で手足を必死に動かして後退すると、すぐに背中が壁に当たる。膝頭ががくがくと震えている。
と、その時
「……焔…に………手を出すっ…な…!」
喉から漏れるヒューヒューという呼吸音に混じって、掠れた声でそう言ったのは牙炎だった。彼は生きていた。否、わざとギリギリの状態で「生かされて」いたのだ。床に伏した体を渾身の力でもって持ち上げ、獣の唸り声を上げる。
鮮血が滴った。
ざっくりと切れた横腹からは赤い血と臓物が顔を覗かせ、月光に反射してぬめらかに光っていた。
「牙炎!」
焔が叫び、兄の元へ走り寄る。
が、力強い腕に胴を捕らわれ、足は空しく宙を蹴った。
「行かせぬ」
男がそう言い、焔をしっかりと抱くと彼女のふわりとした真紅の髪に、顔を埋める。
男に抱きすくめられ、焔は内なる衝動に打ちのめされた。体の内側で何かが爆発し、芯が灼熱の温度で溶け、胸が高鳴る。魂が震える。そんな自分に驚愕し、恐怖した。
自分はおかしい!狂っている!
両親をあんな酷い殺し方で殺したのはこの男だ!何よりも大切な牙炎をこんな目にあわせたのはこの男だ!平和を奪ったのはこの男だ!
なのに…何故、こんなにもこの男に触られて自分はこんな気持ちになっている ?まるで…触れ合っている部分から互いが溶けだし、融合してしまう様な…。底の知れない強い引力。魂が何かを教える。だが、解らない。…いけない。これではいけない…。『戻らなくては』。
「…焔…」
戦慄く焔を見、牙炎は屈辱に身を震わせた。
その呟きを耳にし、焔ははっと我に返ると牙炎に向かって両腕を差し出し、男の腕の中で暴れる。
「牙炎!牙炎!」
焔は絶叫した。
助けて欲しい。どうにかなってしまいそうな自分を助けて欲しい。狂っている。全てが狂っている!
愛しい人が苦しんでいる。行かなくては!
死なないで!
死なないで!
腕の中で兄の名を呼んで必死にもがく焔を見、男はきりりとその唇を噛んだ。その鋭利な瞳に暗い火が灯る。地獄の炎よりも尚暗く、尚激しい炎。
男は焔を片手で押さえると、もう片方の手をスイ…と掲げた。そして、それを一気に虫の息の牙炎に向かって振り下ろす。
ビュッ…
ゴトンッ
ゴロン…
ゴロ…
空を裂く鋭い音がしたかと思うと、牙炎の首が真空の鎌に攫われて赤い血を飛ばしながら壁にぶつかり、僅かに弾んで床に転がったのが見えた。
「 っっ!!」
声にならなかった。
力一杯、これ以上ないという位に絶叫したつもりだった。
駄目!
だが、口からは何も出なかった。
涙だけが瀧のように頬を伝って流れ落ちる。
違う!
狂った様に手足をばたつかせ、牙炎の元へ行こうとする。男の事など頭に無かった。牙炎だけが、焔の全てであった。
そんな焔を見、男は切なげに眉根を寄せて焔に囁く。
「…何も見るな。俺だけを見ろ」
その囁きも、勿論焔の耳には聞こえていない。声無き声で絶叫し続け、兄を求める。焔の涙が男の手にも滴った。熱い、涙。
これは…現実じゃない。
男は黙し、焔の両手を片手で戒めるとこちらを向かせる。掴んだ両手を焔の背でまとめると、しっかりと自分の体に押しつけて焔の動きを封じた。
現実じゃ…ない。
違う。
男は自分の胸で、世界が終わった様な顔で涙を流し続ける焔をしっかりとその両の瞳で見据える。狂気を湛えた、獣の如き残忍で獰猛な瞳。
「俺を見ろ」
焔は朦朧とした意識の中、その瞳を見た。
その中に映る、己の姿も。
「…これからは俺だけを見ろ。俺だけだ」
愛を囁くかの様な声で男は焔に言い、そして焔は永遠の闇に墜ちた。
ブチブチブチブチ………ッ
ズル………
男の囁きが残る耳の奥に、束になった糸状の物が引き千切られる音がぼんやりと響いた。
はっきりと聞こえる音ではない。耳に一枚布を被せた状態で、音を聞いている様な感じだった。最早、自分が叫んでいるのかすら分からない。
「…………美しい……」
男は陶酔した声でそう呟き、その掌に乗っているものを愛おしげに紅い舌で舐めた。舌に付いた赤いものを、己の唾液と共に飲み込む。
白く、丸いもの。
赤い尻尾が付いている、白くて丸いもの。
赤い宝石を付けた、白くて丸いもの。
がんきゅう。
眼球。
焔は赤い涙で泣き続ける。
血の涙。
声にならない声で絶叫し続け、赤い涙を流し続ける。
もう、何も判らなかった。
全てが狂っている。
腕の中でもがき続ける焔を男は愛しそうに見、焔の顎を捕らえると熱い唇を押し当てた。そのまま、熱い塊が焔の口腔に滑り込んで狂おしく彼女を貪る。
やっと解放された唇が、切ない吐息を吐く。
何もかも麻痺していた。
抉られた両目の痛みも、家族と恋人を失った痛みも、何もかもが解らなくなっていた。
現実の苦しみ全てが、男から発せられる強い力によって打ち消されていた。夢も現実も解らぬ状態。それは、陶酔とも言えた。
男は床に転がっている牙炎の首を見て、勝者の笑みを浮かべる。そして焔の首筋に嵐の様な接吻を降らせながら、「これは俺のものだ」と呟いた。嫉妬と屈辱の表情を浮かべたまま胴から離れてしまった牙炎の首は、二人をただ床の上から見詰めるしか出来ないでいた。
男の骨張った大きな手が、焔の若くしなやかな肉体をこの上もなく愛しげに愛撫する。それに応えて焔は体をしならせ、喘いだ。
「…誰………」
もう、自分を愛撫している人間が誰かも解らぬ焔が、切れ切れの声で問う。熱に浮かされた様なその声に、男は遠くから囁きかける様な声で答えた。
「緋翔…お前の為にこの世に生まれた…それが俺だ」
「…緋…翔………」
焔が教えられた名を、うわ言の様に繰り返す。
「そうだ…お前は俺の為に生まれた女…」
焔の白い両脚を広げ、内股を撫でながら緋翔が熱い声でその耳元に囁く。
牙炎しか許さぬ筈の体に、緋翔が溶けた。
灼熱の時間の中で、二人は夢を見る。約束の地・叶で巡り逢いを繰り返す、男神と女神の夢を。出会いを果たした瞬間に争い合う運命を定められながらも、互いを激しく求め合う二人の、切なく、儚い一時の夢を。
緋翔の愛を打ち込まれる度に、焔の頭に白い閃光が弾けた。その垣間に、知らぬ風景や人が次々と浮かんでは消えた。緋翔もまた、灯籠の様な幻想を焔の体から感じた。それは記憶として留まる事は無く、次々と浮かんでは消え、二人の間を駆け巡った。
それは、神の見る夢。
永遠の幻想。
そして、二人は墜ちた。
「これでお前は俺のものだ」
あれ程荒れ狂っていた風は凪ぎ、月明かりが廃屋を静かに照らした。
破壊し尽くされた小さな家に、幾つもの肉塊が転がり血臭が漂う。そんな中に、裸身を晒した焔がただ一つ神聖なものとして安らかな寝息を立てていた。
まるで女神がまどろんでいるかの様にその姿は美しく、そこだけが異空間の様に感じられた。
緋翔は愛しい女の髪に指を巻き付け、微かに開いたその小さな唇に静かに口付けた。少し口を離して言う。
「俺はお前を求めた。次はお前の番だ。どこまでも俺を追って来い」
そして、緋翔はその場を去った。
焔から光と全てを奪って。
後に残るのは、男の刻印を刻みつけられた女。
『そして、女の人生を狂わせた』。
その事件から十日後、挟で四族の長老達による会合が開かれた。
会合の議題は『掟破り』について。
単なる事件ではなかった。
不明な点が多すぎた。
犯人である風の民の男は神殿と、そこに働く戦士の武器屋を営んでいる実家を襲って逃走。神子・巫女や神殿の宝物具などには手出しもしなかった。神殿を襲うだけ襲って、何処も荒らした形跡は無い。
その上、襲われた神殿戦士の家族で唯一人生存を確認されていない少女は、依然行方不明。発見された肉解の中に少女の肉があるという説もある。
また、事件と直接関係があるのかは定かではないが、その日たまたま非番だった、神殿の戦士の一人も行方をくらませた。
そして、長老会の決定により、『掟』を破った重犯罪人にのみ刑を執行する『四族特警』が動き出した。
明らかに、何かが動き始めている。
だが、それに気付く者は極僅か。
『そして、一つの世界の秩序を乱した』。
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