「レシテル・エディレの事」

ヴァンパイア・ハンターレシテル・エディレが帰って行ってしまった後、
何となくあたし達は疲れたので、そのまま早い夕食を取ってそれぞれ解散した。
 リンはやっぱりどっかにフラフラ出て行って、アレスは部屋で本を読み、
あたしは何となくウィンドウ・ショッピングをして、それにも飽きた頃になると、
ふと思い立って滅多に行かない本屋に行き
アンデッドとかに関するコーナーを見てみる。
 と、何と! 雑誌の表紙にレシテル・エディレがでかでかと載ってるではないか!

 人を見下した様な目で、つまらなさそうに映写機の反射体を見ている。
 大きな見出しには、『前代未聞! 異端的天才
ヴァンパイア・ハンター!』なんて書いてある。
 ちょっと興味があったから、珍しくもあたしはその雑誌を買う事にした。

本屋のレジでアルバイトをしてる女の子とは顔見知りで、
あたしがここで買物するのを見て「珍しいね」って言った。
 まぁ、そりゃね。いっつも本買うのはアレスだし。あたしはファッション誌を立ち読みする程度。
 後はマップとかサバイバルに関する実用的な本を買うぐらいだしねぇ。

部屋に戻って、レシテル・エディレに関する記述を読むと、
何でもヴァンパイア・ハンター
ギルドの試験を優秀な成績でパスして、
最年少で
ヴァンパイア・ハンターになったらしい。まぁ、どう見ても今の歳は十五、六くらいだもんね。
 
ヴァンパイア・ハンターになったのが五年前っていうから、
十歳やそこらでヴァンパイア・ハンター
になったんだ。
 プライベートに関する事は、何一つ書いてなかった。
 ただ、暮らしているのはヴァンパイア・ハンター
ギルドの寮で、家族なんかとは一緒に暮らしてないみたい。

あとは、延々とそのファッションに関する記述だったり、能力の高さ、インテリぶり、
戦闘能力の高さなんかを褒め称えてる。対アンデッド
の有効な戦い方とか、
道具なんかも研究してるみたい。魔力も高位魔導士並みに高くて、属性もほぼオールマイティらしい。
 腕力は無いみたいだけど(まぁ、あの細い体じゃね)、魔力で自分の体の一部同様に扱える様にした、
馬鹿デカい武器でヴァンパイア
を秒殺だって。

クソ生意気なガキだけど、どうやらその能力はホンモノらしい。
 そんな奴が一緒に居てくれんなら、戦いも物凄くラクになりそう。
 ま、リンとアレスだけでも十分強いんだけどね。まぁ、手数が少ないのが難点だったけど。

 でも、どーしてそんな奴があたし達の話に乗ってきたんだろ。
 フォレスタには色々因縁があるみたいだけど、

ヴァンパイア・ハンターギルドのギルド長からの話じゃあそんな事分かる筈もないし。
 まぁ、かなりの問題児だから厄介払い的なのもあったのかもね。

その夜の夢は、何だかとてもぐちゃぐちゃした夢だった。
 その日にあった出来事全てが、ミキサーにかけられてミックスジュースになったカンジ。
 レシテル・エディレのタトゥ
とか、レモンパイ、悲しそうなアレスの顔とか、
覚えてもいない幼少時の恐怖の記憶、見た事のないフォレスタが、
真っ黒で大きな影になってあたし達を飲み込もうとしている。

いつも通りにスパンと起きたけど、すっきりとした目覚めではなかった。
 いつものあたしらしくもなく、しばらくベッドの上で
胡座をかいてボーッとしていた。
 ややしばらくしてから、もそもそと活動開始する。

昨日の出来事は嘘みたいだったけど、まぎれもない現実。
 レシテル・エディレから連絡があるまでに、あたし達は長い旅に出る準備をしなければならない。

 ダルディアに帰ってくる事も、当分ないのかな。
 お世話になってる人に、挨拶とかしなきゃなぁ。
 この宿も、いっつもあたし達が泊る部屋はとっといてもらってるけど、
これからは普通にお客を泊める様になるんだなぁ。

 何だか変な気分。ここにすっかり慣れちゃってて、自分の家みたいな気分になってるから、
この部屋に全然知らない人が寝るのかと思うと変なカンジになる。でも、それが普通なんだよね。

「さてっ活動開始!」

らしくなく、もやもやした気分を吹き飛ばすために、
あたしは元気な声を出して自分に気合を入れ、ちゃっちゃと朝の仕度を始めた。

いつもの服装(ノースリーブの薄手のトップスとショートパンツ)に着替えると、
顔を洗うためにタオルを持って洗面所に向いながら、何を買物しようかと考える。

 この街とは当分お別れなのは淋しいけど、今までとは違う、
長い旅に出る事を考えると、その
過程なんかはちょっとワクワクする。
 あたし達、マリドン大陸はほとんど制覇したけど、他の四大陸にはまだ行った事がない。
 見知らぬ土地に行くかもしれない事を考えても、やっぱり胸がドキドキする。
 やっぱ、旅とか冒険とかっていいもんだなぁ…とつくづく思うのであった。

あたしが他の四大陸について知ってる事は、
あたしの大好きなエキドナがたくさん生息してる南東(くどいかもしんないけど、地図で見れば右下)
にあるセリファ大陸は、自然が多くてのんびりとした所らしい。
 都市開発なんかも、あんまりしない様にしてるんだって。

西(左)隣にある、クロの故郷があるゾルゲフネ大陸は、マリドン大陸の約一・五倍の面積がある。
 戦争の歴史が多い大陸で、今でも結構きな臭い所が多いらしい。
 その代わり、弱肉強食的なカンジで、戦争に勝った国は周りの国を吸収してどんどん巨大になっていく。
 戦争が多いから、武器とかの開発も盛んで、ゾルゲフネ製の武器は結構高い値段で売ってる。
 まぁ、高い値段に見合う仕事はするんだけどね。

それから、マリドン大陸の北東(右上)にあるジルヴァ大陸は、商工がさかん。
 戦争ばっかりのゾルゲフネから逃げ出してきた人は、
すぐ近くにあるテペス大陸かマリドンに亡命するんだけど、テペスは後で詳しく紹介するけど魔法大陸なのね。
 で、その資質が無い人は結構肩身の狭い思いをしなきゃなんない。
 そんなのたまんないよね。だからと言って、マリドンはただでさえ中心地として人が集まるのに、
亡命して来た人を受け入れる余裕ってのもなかなか無い。

 だから、最終的にはのんびりしたセリファ大陸か、このジルヴァ大陸に落ち着く事になる。
 でも、ゾルゲフネはマリドンに次いで発達してる大陸だから、セリファの田舎生活には馴染めない人が多い。
 便利なものに囲まれて暮らしてきたから、なんでも自分でやらなきゃならないセリファでの生活は、
初めこそはサバイバル感覚で楽しいかもしれないけど、次第に嫌気がさしてくる人が多い。
 まぁ、勿論まったく正反対の生活を求めている人もいるんだけどね。


 で、ジルヴァでは都市開発なんかも進めてるし、暮らしやすい所なので、
多分五大陸の中で一番人口が多いんだと思う。ジルヴァ製の織物や民芸品とかは、
凄く手が込んでて人気がある。商売上手な人も多くて、五大陸一お金持ちな大陸でもある。
 ちなみに、レシテル・エディレの生まれ故郷は、アレスが言っていた名前の言語によればこのジルヴァ大陸の北端らしい。

そして最後は魔法大陸テペス。さっきゾルゲフネからの亡命の話でもちょろっとしたけど、
インテリばっかりが集まった大陸。魔法に重きを置いていて魔法を使えない人は、
結構馬鹿にされたりしてるらしい。ホント、冗談じゃない話だ。
 腕なんかひょろひょろの頭でっかちばっかりだから、
自分達の住む建物なんかは地の精霊を召喚して作ってもらってるみたい。
 それか、ジルヴァやゾルゲフネ、マリドンから出張で職人さんが出向いて建築してるか。
 造ってもらった建物なんかを、強力な魔法システムで空中に浮かせたりなんかしてるらしい。
 想像出来ないんだけど、そういう意味では五大陸の中で一番奇怪な土地かもしんない。
 レシテル・エディレが乗ってたスティーラー
なんかも、ここの魔導士ギルドの人が発明したらしい。

ちなみに魔導士ギルドの本部は、勿論テペス大陸にある。
 あたしの所属してる盗賊
ギルドのマリドン多島大陸群本部は、ジルヴァ大陸にあるんだけど行った事はない。
 いつか行ってみたいな、とは思ってるんだけどね。ギルドに加盟するのは最寄りのギルドで十分事が足りるのだ。
 ギルドに加盟したっていう正式な書類は、勿論本部に送られてそこで認められないといけないんだけど、
そういう物を送ったりするのはそれぞれのギルドを運営してる人達なので、
あたし達がわざわざ遠くに行く必要はない。

 ついでに、リンの所属してる戦士ギルド本部はゾルゲフネ大陸。
 レシテル・エディレの所属してるヴァンパイア・ハンター
ギルドの本部はマリドンにあって、
ここダルディア聖王国なのだ。だから、ホントに奴は本部のトップという事になる。畜生。

ふいー。こんなもんかな。五大陸に関するちょろっとした説明は。
 他にも、たっくさんある島の事なんかも説明してたら、どんだけ時間あっても足りないので割愛。


顔を洗って、いつも通りリンとアレスを起こしに行く。
 こないだのよーな事があった時のために、右手にはしっかりナックルを装備したり。

 問答無用でリンの部屋のドアを勢い良く開けると、何と! 
 リンは起きていた! 珍しい事もあるもんだわぁ〜。

 「何ですか?キラ。朝っぱらから俺の愛を求めに来たんですか? 
 うっう〜ん、可愛い人! ほら、遠慮しないで俺の胸に飛び込んでいらっしゃい! 
 スタンバイオッケ! ばっち来―い!」

……………………起きて活動してるよーに見えるけど、実はまだ寝惚けてるんとちゃう? 
 ん? もしかして、これが噂の夢遊病って奴か?

ちょっと心配になってあたしはテクテクとリンに近付くと、本当に起きてるのか確かめる。
 これで冗談じゃなく夢遊病とかだったら、ちゃんと起こさないといけないもんね。
 せっかくナックルはめてきた事だし。


 「おおぉおぉおぉおぉっ!? やっと俺の愛が通じたんですかっ!? ラブ! キラ! 
 もう放しませんよっ! 俺の愛は今や、高まりに高まってゲージはマックスを振り切って、愛の充電んがぐはぁっ!

一発殴ってみる。そしたら、仮に夢遊病だったとしても、これで起きる筈だもんね。

さて、アレスのトコ行こっと。

「おっはよー」

試しに軽やかに朝の挨拶なんかしながら、アレスの部屋に入る。んん? 
 アレスの姿はベッドにない。廊下に出て突き当たりの洗面所を見てみるけど、
そこにも居ない。はて、先に下に降りたのかな?


 いくらリンがさっきの時点で夢の世界の住人だったとしても、まぁさっきの一撃で目が覚めたでしょー。
 リンは起きてくるとみなして、あたしはアレスを探しに行った。
 ちなみに、一回起こしたら奴等は二度寝する事はない。
 一緒に生活する様になった当初、勿論奴らは二度寝を試みたんだけど、
あたしは怒り狂って『美少女キラ・スペサルコンボ』を食らわし、最後通諜を突き付けたのだ。
 それ以来、どんな状況だとしても、二度寝をする事はなくなった。うーん、あたしの教育の
賜物。

レシテル・エディレもあたし達と一緒に生活するっていうんなら、
生活パターンもそろえてもらわないとね。うん。カクゴしとけよ。クソガキ。

ちなみに、あたしは『クソジジィ・クソババァ』という言葉には反対だけど、
『クソガキ』は許されるのである。どーしてかというと、あたしの方が目上だから。
 年功序列だって言うかもしれないけど、どんなに能力があたしより上だとしても、やっぱりガキはガキ。
 教育してあげないと、立派な大人になれないしね。あたしの『クソガキ』には、
ある種の愛情がこもっているのである。いや、疑わないで。ホント。

あたしはゆっくりと、宿の木製の階段を降りる。

見慣れた景色。

今、あたしの目に映っているもの。それが、今まであたりまえだと思っていたけど、
これともそろそろお別れ。そう思うと、何だか感慨深くなってしまう。

 朝の光が階段の踊り場にある窓から、そっと階段に射し込んでる。
 光線の中で、細かな埃が空気の流れにフワフワと浮いてるのが、あたしの目にはやけに綺麗に見えた。

 そっと、光の中に手を差し込み、掴める筈のない光をそっと握ってみる。

あたしは、必ずここに戻ってくる。

同時に、そう堅く決意する。

始祖フォレスタをボコボコのタコ殴りにして、ひーひー言わせてやる。
 あたしの幼なじみに酷い事をした罪は、まぁそんだけじゃ済まされないんだけどね。
 非道と言われよーが、鬼と言われよーが、放送コードに引っ掛かる様な手段でも何でも使って、いびってやる。
 ぐははははははははははは(悪役のキブン)。

 自分勝手、エゴイストとよばれても構わない。大切な人が苦しんでいるのに、
あたしは何もしてあげられなかったし、気付いてあげる事すら出来なかった。
 その償いをし、あたし達から家族を奪った奴に対して、あたしは許すという感情を持つ事は出来ない。

「おばさんおっはよーん。アレス見なかったぁ? 珍しい事に、起こしに行ったらいなかったんだよねぇ」

まず初めに食堂に行き、朝食の準備をしてるおばさんに朝の挨拶をしてからアレスの事を訊く。

「あぁ、おはよう。キラちゃん。アレスなら、
あたしが仕込みしてる時だから…かなり前に散歩して来るって行って、出ていったよ」

むむ?
 なーんだかヤなカンジ。

「ね、おばさん。あいつ、何だか挙動不審じゃなかった?」

ちょっと心配を憶えて、あたしはおばさんにそう訊いた。

「あたしもねぇ、昨日の今日だから心配してそれとなく訊いてみたんだけど、
別に変な事は考えてないって言ったよ? ただ、それでもやっぱり眠れなかったから、頭をスッキリさせたいんだってさ」

ホッ。さすがおばさん。良かった。

「じゃ、あたし探してくるね。そろそろリンも降りてくると思うし。
 ゴハンだから、って言えばあいつもすっ飛んで来るでしょー」

ニッと笑ってあたしはそう言い、出入り口のドアを開けた。
 うーん。爽やかな朝だ。

マリドン多島大陸群は、周りを海に囲まれてるので(当たり前だ)海に面している国とかは、
朝方に物凄い霧がかかる。でも、ダルディアは内陸部なのでそんなに酷くないんだけどね。

 少し湿っぽくて冷たい空気を肌に感じながら、あたしはまだ人気の少ない通りを歩いた。

時折、犬の散歩をしてる人やジョギングをしてる人に出会う。
 ここらへんの人なら大抵は顔見知りだから、それとはなしにアレスの事を訊いてみる。
 なーんか知らないけど、あたし達は結構有名らしい。
 不本意な名の知れ方をしてる場合がほとんどなんだけど…。ま、いっか。カオが広いって事はいい事だよね。
 悪い事しなきゃいい話だし。逆に、こーいう状況になってたら、悪い事したくても出来ないだろーし。

「あぁ、あの背の高い男の子なら、丘の方に歩いて行ったよ」

そう教えてくれたのは、メリルおばさんの宿の近くで洗濯屋をしてるおばちゃんだった。
 このおばちゃんもメリルおばさんと似たり寄ったりの体型で、
あたしは心の中でこの二人を「姉妹」と感じてたりする…。や、お二方には内緒です。

 大きなカゴに洗濯石鹸を一杯入れて、体を揺すって歩いているおばちゃんにお礼を言い、あたしはディーナの丘に向った。

ディーナの丘っていうのは、まぁ展望台的なもんかな。
 シーヴァ教の主神ロシのでっかい像が置いてあって、
その像が向いてる方向に聖地ミズァリにある霊峰シーヴァが見える。すっごい高い山らしくて、
てっぺんの方は雪ってものに覆われていて真っ白。でも、何故か遠くから見たら青く見えて、
信仰心の無いあたしでもなんだか神々しいなぁって感じる。

ディーナの丘に向う途中、あたしは一組のパーティーにはち合わせた。

「こんちはー」

冒険者同士がすれ違う時、挨拶をしてお互いの仕事が上手くいく様に祈るっていうのは、
昔からある慣習。信仰心の無いあたしだけど、この祈りだけは好きなのだ。

「早いですねー。貴方達の道に光の加護がありますよーに」

あたしがそう挨拶をすると、パーティーの年長らしいがっしりした戦士が返事をしてきた。
 三十代に差しかかったばっかり、てトコかな? なかなか大人の魅力溢れる男である。

「光多きは全ての道へ。…俺達、これから聖地ミズァリに巡礼に行く所なんだ」

よーく日に焼けた顔で、豪快な笑顔を浮かべて、その戦士は言った。なる程ね。でも珍しい。
 冒険者には、結構無信仰な人が多いんだけどさ。巡礼なんて行くって事は、深く信仰してるんだなぁ。

「凄いですねぇ。あたし、まだ一回も行った事ないんですよー。罰当たりもんですんかね」

ちょっと悪戯めかしてそう言うと、その戦士はあたしが何を考えてるのか察したらしく、
ちょっと困った様な笑顔を浮かべた。うーん、チャーミング。

「いやぁ、俺達もそんな信心深い訳じゃないんだが、前回の仕事で仲間が一人逝っちまってな。
 それで心だけでも…てカンジで巡礼しようって皆で決めたんだ」

そう言われてから彼らの腕をみると、マントをばっさり被って腕が見えない人もいるけど、
みんな白い布を二の腕に巻いている。これは喪に服している印。本当は、正式な腕輪があるんだけど、
冒険者やなんかは白い布を巻く事で代用している。
 かなり簡略化されてる様に思えるけど、それはそれで認められてる。

 正式な腕輪は、聖なる木って呼ばれている樹皮が白い木の枝を編んで作った物。
 その樹皮で作られた物は聖なる道具として扱われてて、
小さなお守りとして色んな形に編まれた物も売ってるし、結婚の時に交換する指輪も、
元はこの木で編まれた指輪らしい。今は普通の指輪だけどね。

「そうなんですか…。きっと「歓びの野」(エティ・メンシア)で貴方達の事を見守ってますよ」

「歓びの野」(エティ・メンシア)っていうのは、シーヴァ教で言う所のあの世の総称。
 まぁ、色んな種類があって、英知をもたらした者とか、勇敢な戦士、人に喜びを与えた者とか、
その人の生前の行動によって行き先が別れてるって言われてる。勿論、悪い事ばっかしかしなかった人は、
それなりの所に行く事になってるけど、改心するチャンスってものも与えられていて、
自分が生きてきた中で一つでも善い事をしたのなら、その行為によってその人は救われる。

 だから、本当に酷い所に行き着く人っていうのは少ない。
 人間、どーしよもない奴ってのはいるもんだけど、
生きている中で気まぐれだったとしても一つや二つは善い事をしてるもんなのだ。
 シーヴァ教ってのは、物凄く寛大な教えをしてるんだなーと、あの世の仕組みを教えてもらった時にあたしは思った。

「有り難う。じゃあ…」

ナイスガイな戦士とそう別れの挨拶をした時、パーティーにいた盗賊があたしの顔をみてちょっと自身無さそうに言う。

「あのさぁ、もしかしてキラ・セビリアじゃない?」

灰青色の髪を坊主に刈り上げた、あたしと同じ位の年の男の子だ。

「そうだけど。あたしの事知ってるの?」

ふっふふふふふふふふふふふ…。偉い!

ほら、だから言ったでしょ(得意げ)? あたしってば、敏腕盗賊で有名なんだってば! 
 あーあ、このシーンをレシテル・エディレに見せてやりたい。

「やっぱり! 赤い目と髪で、いっつも寒そうな格好してるっていうから、そーなんじゃないかなぁ? 
 って思ったんだけど。うわぁ、ホンモノだ。結構可愛いじゃん」

うふ…………うふふふふふふふふふふふふ。
 まぁ、『寒そうな格好』てのは少し引っ掛かるけど、この際大目に見てやるわ。

「それでさー、これがまたえげつないトラップで有名なんだ。宝箱開けた瞬間目潰しとか…」

ぬぬ?

べらべらと仲間に向かって話し始める坊主頭の盗賊

「俺達同業者の間じゃあ結構有名なんだぜ? 
 しっかも一緒にいる
戦士が、何だか美形の上にすっげぇナルシルトで女ったらしだかで…」

ぐはっ! 恥ずかしぇ〜! 穴があったら入ってみたいかも…。

「キラ・セビリア…? あら、あたし昨日精霊に聞いたわ。
 この人、あのレシテル・エディレと組んで
ヴァンパイアに挑むそうよ」

と、後ろの方から何だか色っぽい声で言ったのは、全身を薄いグレーのマントで包んだ女魔導士。
 あたしみたいにぱっちりとした目じゃなくて、スゥッとした切れ長の目だ。
 黒に近い色の瞳と髪。何だか神秘的な印象だ。うーむ。

『えぇっ!? レシテル・エディレ!?』

女魔導士の言葉に、そのパーティー全員が声を上げた。むぅっ!? 
 何であたしの時より反応がでかいのさっ!? ムカティクス!

しっかし精霊って奴も…他人の会話盗み聞きしやがって…。ロクなもんじゃないなぁ。
 まぁ、あたし達の子供の頃の話とか、そーいう他人の秘密に関する事は、
精霊は言う事が出来ないらしいからいーんだけど…。

「ほ、本当か!?」

ナイスガイ戦士が興奮した面持ちであたしに掴みかかってくる。おわぁっ! こ、恐ぇ。

「そ、そーだけど…。あのクソガキ、そんなに有名なのぉ?」

戦士の勢いにかなり押されたカンジで、あたしは少し動揺しながら答えた。

何故か場が白くなる。

何!? ナニナニ!?

「相手はあの! レシテル・エディレだぞっ!? 冒険者のカリスマ! 倒すのが難しいヴァンパイアを秒殺!」

かーなーり興奮してあたしに詰め寄って来たのは、僧戦士風のガタイのいい女。
 かなりたくましい体をしてらっしゃる。あ、腰にトゲトゲのついた武器下げてる…恐ぇ。
 あれがモーニング・スターって奴だな。あんなんで殴られた日には、目の前に明方の一番星が見える前に、
頭蓋骨陥没で即死だと思うんだけど…。誰だよ。こんなお茶目な名前付けた奴ぁ。

「あ、いや、あのそのあぐぅ」

馬鹿力の女僧戦士に首元を掴まれ、あたしは無様にも情けない声を出す。
 と、いきなり空から聞き覚えのある声が降って来た。

「あっはははは。何シメられてんだよ。だっせー。そんなんで盗賊のつもりかよ」

むがぁっ!?

もはや野生の本能的な反射神経で上を仰ぐと、
見覚えのある真っ黒な
スティーラーに乗ったレシテル・エディレが
思いっきりムカつく笑顔を浮かべてあたしを見下ろしていた。

今日のファッションも凄い。ボディスーツって言うんだろーか、
首元からお腹のあたりまで黄色いファスナーが付いていて、ノースリーブでハイネックのショートパンツ丈の、
体にぴっちりした服を着てる。それも、色は鮮やかなブルー。
ショートパンツなので、何だか少女の様な太腿が露になっている。
やっぱり厚底の、黒い革のロングブーツは太腿のあたりまであって、
ブルーのスーツとブーツとの間に見える白い太腿が、何だかすっごくやらしく見える。絶対領域って奴?
 くぉのっガキのクセにっ!

 で、腕や首、指についてるアクセサリーは昨日と多分変ってない。
 追加アイテムとしては、真っ白な羽根のマフラーを首に引っかけてたり。
 今は装着されているゴーグルは、ガラスの部分がオレンジ色だ。
 あれもきっと高いんだろーなぁ。くそっ! リッチなガキなんて嫌いだ! あれっ? 
 昨日は腕にあった
タトゥ、片腕だけだったのに、もう片方の腕にもある。んー? 何の柄だろ。

ちょっと気になるので、呼び寄せてみる。

「あんた! 腕のタトゥ増やしたの? ちょっと見せなさいよ!」

レシテル・エディレの服装は確かにすっごいドハデだけど、センス的には嫌いじゃない。
 あたしも
タトゥなんかは彫りたいなぁって思ってるから、ちょっと興味はあるのだ。
 昨日、こいつを見て一瞬で気に食わないって思ったのは、
奴の全身からみなぎる生意気なオーラを感じたから。ファッションなんかに関する偏見は、
あたしは全く無い。むしろ、外見に気を遣ってる人は好きだ。

「見たいんなら見せてくださいって素直に言えばいーんだよ! クソババァ!」

何だかすっげぇ言葉を聞いた気がしたけど、この際無視。
 レシテル・エディレも新しく彫った
タトゥを見せたいんじゃないだろーか。
 やけに素直に降りてくる。

奇しくも、レシテル・エディレの登場によって、
あたしは怪力女
僧戦士の魔手から救われる形になったのだ。でも、絶対お礼なんて言ってやんねー。

真っ黒なスティーラーが静かに降りて来て、あたし達の輪の真ん中に着地する。
 こいつ、遠慮して横の方に着地するとか考えないんだろーか。まったくもって、目立ちたがりだ。
 あたしと話していたパーティーの人達は、
口から感嘆の溜め息を漏らしながらレシテル・エディレがスティーラー
から軽やかに降りるのを見ている。
 ちっ。面白くねぇ。

オレンジのゴーグルをくいっとおでこに上げ、
レシテル・エディレはニカッと笑ってあたしに細い左腕を見せる。
 あ、こいつ笑うと八重歯が覗いてちょっと可愛い。まぁ、外見が可愛いのは認めてやるけど、
このひん曲がった性格は絶対好きになれない。こいつと付き合ってれば、
あたしの繊細なハートは度重なる心労で粉々に砕けてしまうに違いない。

「イカすだろっ」

得意そうにそう言ってあたしに突き出した細い腕には、
肩口から手の甲にまでビッシリと竜の姿が彫ってあった。………………かっこいい。

「ま、まぁまぁね」

悔しいけど、渋りながらも認めてやる。

周りにいるパーティーの皆さんは、神様でも見てるかの様な表情でレシテル・エディレを見ている。
 そんな視線にはもう慣れっこなのか、レシテル・エディレは彼らに見向きもしない。可愛くねぇ。

「昨日あれから彫ったの? まーた、やる事突然ねぇ」

計画性のなさそうなガキである。若さ故の突発的な行動…というか。
 あ! そんなこんなであたしは当初の目的をすっかり忘れていた。アレスだ! アレス!

「あんたはもーいーわ」

これから嫌でも顔付き合わせる様になるし、こんな可愛くないクソガキに、
あたしはありがたみなんかちっとも感じてないので、あたしはやや邪険にレシテル・エディレを押しのけると、
周りにいたパーティーの皆さんに言う。

「そーいえば、あたしウチのメンバー探してたトコだったんです。
 すっかり忘れてたから、探さなきゃ。話せて良かったです、じゃあ!」

レシテル・エディレの登場で魂を抜かれてた様になってた皆さんだったけど、
あたしが話し掛けるとハッと我に返った。あたしがヴァンパイア
に挑むってのを思い出したのか、
励ます様な表情で、ナイスガイな戦士はあたしに言った。

「レシテル・エディレさんが一緒に戦ってくれるなら、まず心配ないだろうけど気を付けて…」

「有り難う! 貴方達もいい旅を。メンバーが「歓びの野」(エティ・メンシア)
 
に召されたのは残念だけど、きっとこれからいい事があると思うし。気を落とさないで生き抜いてね」

死んでしまった人間の事を残念がっても、その人が生き返る訳じゃない。
 その人を惜しむ気持ちを忘れないのは大切だけど、あたしはまず生きている人間に幸せになって欲しいし、
同業者には何があっても生き抜いて欲しい。

 あたしの言葉に、ナイスガイな戦士を筆頭にパーティーの皆さんは、
淋しそうな笑顔を浮かべつつ頷く。それを確認して軽く手を振ると、
あたしは丘の上を目指して早足に歩き始めたおわっ!?

ぎゃあああぁあああぁああぁああぁああぁあぁっ!?

浮いてる! あたし浮いてる! きゃぁああぁあぁ! 地面が離れてくぅっ! 
 あうっパーティーの皆さんが、呆気に取られた顔であたしを見上げてる。

「ぎゃーぎゃーわめくなよ、うるせぇな」

ふと、上を見るとゴーグルを付け直したレシテル・エディレが、不敵な笑みを浮かべてあたしを見てる。
 その笑みは、いつもの奴…っていうより、あたしが悲鳴上げたもんだから優越感に浸ってる表情だ。

そう! あたしはレシテル・エディレのスティーラーによって釣り上げられているのだ! 
 ちゃんとした乗る所に乗せるならともかく! だよ!?
 
 スティーラーのボディ
からなんだかマンイーターの触手みたいなのが出ていて、あたしの細くくびれた腰を掴んでいる。

「くらぁっ! 危ねーじゃん! あたしは腰弱くねぇから大丈夫なものの、
 腰弱い人だったら、こちょばくて暴れて下に落ちてるトコじゃんっ! 考え無しに行動すんじゃねぇやっ」

パニックなあまりに、あたしの言葉遣いはちょっと乱れてる。おほほ。

「へぇ? じゃあ何処弱いんだよ」

「背中」

レシテル・エディレがなにげに訊いてくるもんだから、ついついうかつにも正直に答えてしまった。
 ぅぐはあああぁぁぁっ! あたしのお馬鹿!

「っへーぇ?」

ハッと気付いた時にはもう遅い! 青ざめたあたしがレシテル・エディレを見上げると、
奴は天使の様な笑顔をあたしに向けた。ぎゃあああああぁぁぁっ! 恐い! 恐い!

 じたばた暴れるあたしに向って、レシテル・エディレは笑って言った。

「落としたりする訳ねーだろ、お前と違って俺様は優しいんだから。
 大切な下僕をみすみす死なせたりしねぇよ」

くそおおおおぉぉぉぉっ! 弱点われた瞬間に、一気に下僕かっ! 
 あぁんもうっ! あたしの馬鹿馬鹿。

頭をゴツゴツ自分で殴ってるあたしに、レシテル・エディレは前方を指さして言う。
 そんなやり取りの間にも、スティーラー
は素晴らしい速度で移動していて、
あたし達はもうディーナの丘のてっぺんの方に居た。まったく、高所恐怖症でなくて良かったぜ。

「ほら、あいつだろ、探してんの」

「ほぇ?」

見ると、どんどん後ろに流れていく緑の景色の向こうに、
ディーナの丘の頂上である広場が見えて、主神ロシの巨大な像があたしの視界に映った。
 その下に、急斜面に人が転がり落ちない様に作られている柵の所に、アレスが立っていた。
 早朝だから観光客はまだ居ない。アレス一人だ。

「………………でも、なんだってあんたがこんな所にいんのさ」

あたしはボソッとそう言った。

後から気付いたんだけど、こんなスピードで空中を移動してるのに息が詰まらなかったり
寒い思いをしなかったのは、レシテル・エディレが風の結界をスティーラー
の周りに張り巡らせていたから。
 そうだよね、いっくら移動速度が速くても息が詰まったりしてりゃ話になんない。
 スティーラー
を乗りこなすには、スティーラーを制御する魔力の他にも風の結界を同時に張る魔力が必要になる。
 つくづく、この生意気なガキは大物らしい。

「ここは前から俺様の早朝散歩スポットなんだよ」

可愛くない答が返って来る。

あ、でもそーいえば、あたしも時々早く起き過ぎた時なんかは散歩に出たりする。
 時間がある時は、ディーナの丘まで来る事もあるんだけど、
その時に何回かこのスティーラー
を見かけたかもしれない。すっかり忘れてた。

「あっそ。アアアァァァアァァァァレスウウゥウウゥウゥゥウゥッ! ゴッハンだにょおおおおぉぉおん!」

レシテル・エディレに冷たい相槌を打って、あたしは頂上にいるアレスに向って思いっ切り叫んだ。
 あ、聞こえてやんの。霊峰シーヴァの方を柵にもたれてぼんやり見てたけど、
あたしの声に気付いたアレスはこっちを向き、ちょっと探してからレシテル・エディレの
スティーラーに気付いてこっちを向いた。

「……………お前、「歓びの野」(エティ・メンシア)なんか信じてんのか?」

あたしに冷たくあしらわれて、面白くなかったのかチッと舌を打っていたレシテル・エディレだったけど、
だしぬけにそんな事を聞いてきた。アレスの所までにはもう少し距離がある。

「…………別に、あたしは宗教嫌いだし、神様なんてのもいるのかどーか疑わしいって思ってるけど、
死んだ後に残るものが無だったら悲しいじゃん。
 残された人は、失った人がせめて死後の世界で幸せになる事を望んでるんだから、
それを否定する事もないんじゃない? あたしだって大切な人を失ったら、
「歓びの野」(エティ・メンシア)
なんてトコに行ってるって考えたら少しは気がラクだし。
 まぁ、神様の存在疑ってるのに
「歓びの野」(エティ・メンシア)についてはあって欲しいって思うのは、
かなりワガママだってのは分かってるけど…。まぁ、人間なんて自分勝手なもんだし、それはそれでいーと思う」

あたしなりの見解を言ってみると、レシテル・エディレは奴らしくもなく
「ふーん」と気の無い返事をしただけだった。

それから間も無く、レシテル・エディレのスティーラーはディーナの丘のてっぺんに到着して、
微かな音をたてて着陸した。あたしの腰を捕らえていた
マンイーターの触手みたいのは、
スルスルと離れてスティーラー
のボディの中に収容され、消えてしまった。うぅむ、面妖な。

「アレス! どーしたの? あんたにしてはすっごい早起きなんじゃないの?」

あたしはアレスに駆け寄ってそう言った。多分、昨日の話の事とかでアレスはアレスで物凄く苦しいに違いない。
 多分、あたしに心配を掛けたくなくてずっと黙っていて、それが明るみに出てしまったから。

 つか、何で十五年も黙っていた事を急にポツっと言ったのかと言うと、
今まであたしが『お母さん』の存在について何も言わなかったから(アレスの言う『訊かれなかったから』)てのは、
本当に本当らしい。あたしがお母さんって事について言わなかったら、
多分アレスは死ぬまで秘密にしてたんじゃないだろーか。

実際、あたしは真実を知ってしまって苦しんでいるし、辛いと思ってる。
 でも、知らないよりはずぅっとまし。アレスが苦しんでるのを知らないよりは、一緒に苦しみたい。
 でも、だからといってわざとしんみりする必要もない。マイナス思考は嫌いだしね。

あたしの声がいつも通りで、明るくアレスに話し掛けたのでアレスは何だかホッとした様子だった。
 あたしの方を向いて「早く目、覚めたから…」なんて、そのまんまの事をボソッと言っていたりする。
 よし、いつものアレスだ。

あたしが普通にしてれば、アレスも普通になる。それならあたしが頑張ればいい。
 でも、言わなきゃならない事は言わないとね。

「ねぇ、アレス。色々悩んでるのは分かる。でもさ、一人で悩まないでよ。
 あたし達いつでも一緒だったじゃん。あんたがあたしの事想ってくれて、今まで何も言わなかったのは分かるけど、
もうわかっちゃったもんは仕方ないし、これからは一緒に悩もう!」

バシッとアレスの背中を叩いて、あたしは笑った。

「なーに、始祖だろーがなんだろーか、このあたしがけちょんけちょんにしてやるって。心配すんなっ」

そして更にバシバシ

 背後からレシテル・エディレの突っ込み。

「背中赤くなってんじゃねーか?」

あ、やっぱり?

てへ。っと可愛く笑って誤魔化そうとするあたしを、アレスは抱き締めてきた。

「………………有り難う、キラ」

何だかんだゆって、アレスは小さい時からあたしに対してはちょっと甘えてる。
 一見そうは見えないけど、あたしはアレスが弱ってる時とかの様子は分かるし、
そんな時は思いっきり抱き締めてあげた。人の肌のあったかさっていうものが、
人の心を癒すのに一番だっていうのは、あたしはよく分かっている。

 リンに出会って三人になるまで、あたしとアレスはいつも二人一緒だった。
 お互いの存在が何となく癒しになってるし、何でもかんでも二人でやってきた。
 アレスにはあたしが必要だし、あたしにはアレスが必要だ。勿論、今ではリンの事も必要。

昔っから変わらないアレスに、あたしはちょっと笑った。図体はでかくなっても中身は全然変わってない。
 あたしの知ってるアレスだ。例え、フォレスタに中身をいじられたんだとしても、
あたしのアレスへの態度は変わらない。変わる訳もない。

「よしっ! 元気出た? リンも待ってる筈だし、ゴハン食べに帰ろう。
 それから買物とかにも行かないと。あんたも買っておきたい物なんかあるんでしょ?」

アレスがそっと体を離してから、あたしはそう言って宿に戻る事にし、
途中の態度はともかく連れてきてくれたレシテル・エディレにお礼を言った。

「レシテル・エディレ、連れてきてくれてサンキュ。でも、今度からはもっと丁寧に扱ってよね」

せっかくこのあたしがお礼を言ってやってるっていうのに、
レシテル・エディレは何か知らないけどぶんむくれてそっぽを向いてる。
 照れてんのか? こいつ。可愛いなぁ。

「ほら! あたしがお礼言ってやってんだから、何とかいいなさいよ!」

レシテル・エディレの小さな顔を両手で包むと、グイッとこっちに向ける。
 それから、細い眉毛の間に寄っている
を、人差し指でグリグリして伸ばしてやる。

「いてえなっ! 馬鹿力! 俺様の国宝ものの脳に損傷あったらどーすんだよっ!」

そしたら、レシテル・エディレは真っ赤になって、物凄い勢いで飛び退いて、
何だか半分戦闘体勢
に入ってる。ホホホホホホホホホ。ウブな坊やだ。

「それからなっ! いつまでも人の事フルネームで呼んでんじゃねーよ! 鬱陶しい!」

成る程、仲良くなりたい訳だ。

「そしたら何て呼べばいーの? いっつも友達に何て呼ばれてんのさ。それで呼んでやるから」

まぁ、呼ばれ慣れてる呼び方で呼ばれた方が、人間違和感ないもんね。
 あたしとしても、こいつの事いつまでもフルネームで呼ぶのもなんだなぁ…って思ってたトコだし。

「……………………」

あり?黙っちまった。

「あ、分かった! あんた友達いないんでしょ。いかにもいなさそーだもんねぇ」

いつものノリで冗談言ったら、マズい事にそれが図星だったみたい。
 レシテル・エディレは紙みたいに真っ白な顔をして赤い唇を噛み締めてる。

あ………………ヤバかったなぁ。

「…………マジ? あ、や、ごめん」

動揺して謝るあたしに、レシテル・エディレはゆっくりあたしの方を見て、
小さな声で話し始めた。苦痛に耐えてる様な表情は、元の顔が可愛いだけに見てるこっちも辛くなる。

「…………俺は一人で生きて来た。ガキ同士で馴れ合ってる暇なんてなかったんだよ。
 戦える様になんねーと、こっちが殺られる生活してたからな。親なんて守ってくれる奴はいねぇし、
味方になってくれる奴もいねぇ。俺は俺しかいなかった。
 ……………まぁ、今は
ヴァンパイア・ハンターギルド長が俺の親みたいなもんだけどな」

…………こいつも孤児だったんだ。

自分の事何にも話さないし、あの雑誌にもプライベートに関する事は何も書いてなかったから、知らなかった。
 大方、どっかのお金持ちの坊ちゃんなのかと思ってた。
 ワガママ放題に育てられたんじゃなくて、自分で自分を守るための
殻を作ってたんだ。

孤児院に居た時、あたしはようやく自分が普通とは違う、
あたしには親っていうものが居ないって事を知った。それまでは何となく孤児院の中で暮らしてきて、
それが当たり前の生活だったから、疑問にも思わなかった。自分が孤児なんだって知った時、
あたしはあたしを捨てた親を激しく憎んだ。そして、自分は必要とされない人間なんだ、
って思ってしばらくは荒れてた。当時は手のつけられない悪ガキで、
あたし達の世話をしてくれていた院長や孤児院のお姉ちゃんを困らせてばっかりいた。

多分、レシテル・エディレも同じなんだと思う。自分が親に捨てられたって思って、
裏切られたって感じる。そしたら周りの人間全てが信用出来なくなって、自分一人で生きようとする。
 しかも、こいつが言っていた様な厳しい環境だったら尚更だ。

もしかしたら、こいつはあたし達よりも悲惨なのかもしれない。
だからこんなにひねくれた性格なんだろう。他人に甘えるって事を知らないだろうし、
安心して夜眠れた事もないのかもしれない。

 でも、こいつは少なくともあたし達を仲間に思ってくれてるみたいだし、
それなりに近寄って来ようとしてる。かなり不器用だけどね。
 そしたら、あたし達はこいつの新しい家族になってあげなきゃ。これから生活を共にする様になるんだしね。

あたしの心の中にあった、レシテル・エディレに対する憎たらしいとか生意気だって感じる感情が、
氷みたいに溶けていくのを感じていた。

「バーカ、何ホンキにしてんだよ。ほんっとだまされやすい盗賊だよなぁ。あー、面白ぇ」

と、いきなりレシテル・エディレは細い体をくの字に折って爆笑し始めた。

んなっ! んなぬうううううぅぅぅぅぅぅっ!?

「くおおおおおぉぉぉぉいいいいいいぃぃぃぃつうううううぅぅぅぅぅっ!」

怒った! もーう怒った!

このクソガキ! ひっ捕まえて尻叩いてやるっ! 教育的指導だっ! 
セクハラ!? 知らんっ! そんな言葉はっ!

あたしが飛びかかるより早く、レシテル・エディレはスティーラーに乗ると笑いながら、
あたしの手の届かない空中へと避難した。ぅオノレええええぇぇぇっ! 卑怯者!

「レシテルでいいぜ。ブス」

クソガキは空からそう言うと、スティーラーであっという間に飛び去って行ってしまった。

「馬っ鹿野郎おぉおおぉおぉぉおおぉぉおぉぉぉぉおぉぉっ!」

あたしの叫びは早朝のダルディアに物凄ぉく響き渡った。

「キラ」
 「ん何ようっ!」

レシテル・エディレのあんまりな仕打ちに、あたしは怒りゲージがマックスを超えた状態で、
ブンブン怒りながらディーナの丘をアレスと下りていた。


 あのクソガキっ!次会ったら憶えてなさいよっ!

「レシテルだけど…」
 「何っ!」

あんな奴の話なんてしたくない! ああああぁぁぁっ! 腹立つったら!

「さっき言ってた事、本当」

「は!? ナニ言ってんのアレス! あいつはあたしのせっかくの心を踏みにじったんだよ!?」

何度もあいつにだまされてるあたしにも腹が立つけど、あーいう事で嘘つくのは最低だ。

「……………精霊は嘘つかない」

あたしの横を歩いていたアレスは、急に歩くのをやめてあたしを見詰める。

「…………………」

アレスがそう言うなら…ってカンジで、あたしも歩く足を止めてアレスを振り返る。

「レシテルを守ってる精霊は俺に見せてくれた。
 雨ばっかり降ってる陰気で痩せた土地で、生まれた時から一人だった。
 四歳くらいまではシーヴァ教の古い教会で育てられてたけど、
その教会の神父は通りすがりの夜盗になぶり殺された。
 レシテルは、それを
咄嗟に隠れた場所から見てるしか出来なかった。
 それからは本当に一人で生きてきて、木の根っこかじって生活してたみたいだ。
 廃虚に住みついて、そこにいた
ヴァンパイアと戦り合った時に死にかけて無意識の中で誰かに助けを求めて、
精霊が助けてくれた。精霊が助けるって言っても限度があって、
彼らは力を貸す事しか出来ないから、レシテルは結局一人で戦って勝った。

 それからレシテルは自分の力をつけるために、ヴァンパイアや魔物を倒し続けて、
いつの間にかそれが生活の一部になって、仕事になっていた。
 賞金のかかっている魔物を倒せば金をもらえるし、自分も強くなる。
 そうやってレシテルは強くなっていって、有名になっていった。
 でも、誰にも求められていない。皆が求めるのは高名な
ヴァンパイア・ハンターであって、
レシテル・エディレっていう一人の人間ではなかったから。
 レシテルを守ってる精霊は哀しんでる。レシテルが孤独で哀しんでるから」

口数の少ないアレスが、ポツポツとだけど時間をかけて一生懸命レシテルの守護精霊が
アレスに見せてくれたっていう映像(って言っても心に直接語りかけて来るらしいんだけど)の事をあたしに話した。
 アレスはやっぱり何考えてるかわかんないけど、精霊と対話出来る者同士ってカンジで、
結構レシテルの事を気に入ってるみたいだった。

 精霊は人の秘密を他人にバラしたりはしないけど、アレスがそれを感じる事が出来たのは、
レシテルが心の底では誰かを求めていて、誰かに自分の事を知ってもらいたいって強く願っているからだ、ってアレスは言った。

「…………つまり、さっきあいつが言ってた事は本当で、照れ隠しのためにやっぱり嘘だって言ったワケ?」

「…そうだと思う」

まったく………とんでもない照れ屋である。

「精霊は、レシテルがキラに凄く心を開き始めてるって言った。
 レシテルは普段あんなに喋らないんだって。人前で笑う事もない。
 笑っても、嘲笑とか冷笑とかそんなのばっかり。多分、キラがレシテルの事有名人だって知らないで、
 ケンカふっかけたのが良かったんだと思う」

……………………そ、そぉ(汗)?

つか、あたしに対しても嘲笑とか冷笑ばっかりの気がするんだけど…。
 まぁ、ここはアレスに免じて信じてやる事にしよう。

「ん、あかった。あいつの事はこのあたしが責任持って更正させてやるわっ」

悪い奴じゃないのは分かってる。

ただ、あたしも結構単純な所はあるから、やっぱりあーいう小生意気な奴とやり合ってると、
時々ブチ切れる事もある。時々ね。それにあたしは単純かもしれないけど、
頭の回転はいいんだからねっ。皆様、そこの所よぉく憶えておいて下さい。

 まぁ、さっきも何だかんだ言って、あたしをアレスの所まで連れて来てくれたしね。

「よぉし! 一肌脱いでやろーじゃないの!」

在りもしない腕まくりなんかして、あたしはレシテルの守護精霊に向ってそう誓った。
 聞こえてるかどうかわからんけど。…まぁ、要は気持ちよね。

「………………すとりっぷはしないで…」

ゴインッ!

怯えた声で横でボソッと言ったアレスの顔面に裏拳を叩き込み、あたしは宿に戻った。あー腹減った。

「ちょっとおおおおおぉぉぉっ!? 何であんたがここにいんのさっ!」

しかし、あたしの寛大な心で成された決意は、宿の食堂のいつものテーブル、
しかもあたしの席でシャクシャクとサラダを食べているレシテルの姿を見た瞬間、ちょっと揺らぎつつあった。

「俺様は客として来てんだよ。文句あんのかよブス」

さっきの事に対する反省なんて欠片も見られない態度で、レシテルはあたしに向ってフォークの先を突きつけた。

ムカッ

「行儀悪いっ! 人に向ってフォークやナイフを突き付けないのっ!」

ベチンッ

問答無用の教育的指導。

「いっ……ってぇな! このブス! 人の頭汚ねぇ手で殴んじゃねぇよっ!」

レシテルの向かいで一緒に朝食を食べていたリンは、あたしが教育的指導に入る事を察知していて、
既にカウンターに逃げていた。アレスもこうなったあたしを制止するなんて事は考えてもないらしく、
そそくさとお皿やフォーク・ナイフなどを取って、
自分の分を鼻歌なんて歌いながらいそいそとてんこ盛りにしていた。

おばさんは常連さん達とカウンター越しに他愛の無い話をしている。
 毎朝、あたし達がこの手の騒ぎを起こすのは、もう慣れっこになっている。
 しかもあたしの知らない所で、今日の教育的指導は何分で終わるか、なんて賭けたりしてるらしい。まったく…。

いや、それよりも今はとにかく!

「このあたしの何処を見てブスなんて言葉使ってんの! そのビー玉みたいな目はフシアナかぁっ!」

あたしの二撃目をレシテルはひょいとかわし、ピアスの付いてる舌をあたしに向って出した。
 出すだけでは飽き足らず、レロレロ動かしたりなんかして……っもおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉっ!

「待てっ! このクソガキ! 絶対今のは訂正させてやるっ!」

「あーんまり怒ったら頭に血上って、脳破裂すんぜ? もぉ若くないんだからさぁ、
もー少し大人しくしてた方がいいと思うんだけどなぁ、俺様は。
 そんなんじゃ、男も寄り付かないよなぁ、いや、ホント」

うがあああぁぁあぁあぁあぁっ!

あたしとレシテルは食堂の中をドタバタしながら、不毛な言い争いと追いかけっこを繰り広げる。
 その間も、アレスは黙々と食べ続け、リンはおばさんも含めて近所のマダム達と世間話に花を咲かせている。

レシテルの奴ったら、重っそうなアクセサリーとかジャラジャラ付けてるクセに、
その身のこなしの軽い事軽い事。盗賊
のあたしから逃げおおせてる事は、誉めてやるわよっ! えぇいっ!

で、食堂の中を何周かした時だった。あたしは濡れていた床を踏んづけて、
思いっきりスリップした。しっかも、その先は熱ぅいお湯がなみなみと入ってるお茶コーナー! 
ぎゃあああああぁぁぁっ! ぶつかる! 割れる! 弁償! お金無くなる!

ほ〜んの一瞬の事だったけど、あたしの頭の中はぐるぐるっとそんな事を考え、
涙目になっていたりする。でも
      

ドンッ

たくましい胸板にぶつかって、あたしはお茶のポットやティーカップなんかに激突しないで済んだのだった。
 あたしを助けてくれたのは、勿論

「ありがと〜…リン。割っちゃうかと思ったぁ…」

「キラのためなら火の中水の中っ。俺の愛は無限に広がふぅっ!

それはやめい。

ま、今のでちょっと冷静になったあたしは、おばさんとギャラリーに謝って
蹴散らした椅子やらテーブルなんかを元に戻し始めた。切り上げ時が肝心よ。
 床にノビていたリンも、起き上がって手伝ってくれる。勿論、アレスは食べ続けてる。

「っはぁああぁぁああぁあ…」

でっかい溜め息を吐いてレシテルを振り向くと、奴はいなかった。
 あんにゃろおおぉおおぉおぉっ! 勝ち逃げしたつもりかっ!

「おばさんっ! レシテルは!?」

鼻息荒くあたしがそう尋ねると、おばさんはケラケラ笑いながら答える。

「キラちゃんが激突しそうになった時、ヤバいって顔してたけど、
リンが助けてくれたのを見てから帰ったよ。やり過ぎたって反省したんじゃないのかい?」

畜生っ! 逃がしたか!

しっかし、こんな騒ぎがあってティーカップやらが、全滅の危機にさらされたばっかりだっていうのに、
まったくこのおばさんは肝っ玉が座ってる。
 つか、大丈夫だって信頼してくれてるから、てのもあるかもしんないんだけど。

「まぁ、落ち着いて食べなさいよ。これからいつでも追いかけっこ出来るんでしょ?」

おばさんの言葉に、あたしはハッとしておばさんの丸い顔を見る。
 いつものあったかい笑顔の中に、あたし達が当分ここを離れる事を分かっている淋しさがあった。

「…おばさん…」

「帰って来る頃には、あの子との決着つけておいで」
 おばさんはそう言って、ウインクを付け足した。

「淋しくなるわねぇ」

そう言ったのは、リンと話していた近所のマダムの一人だった。
 彼女達の子供はすっかり成人して、それぞれ何処かに就職したり旅に出ていたりしてる。
 だから、彼女達にとってあたし達の存在は、第二の娘・息子に思えるんだそうだ。
 それはあたし達も同じで、顔なじみのおばさま(おばさんとは口が裂けても言えない)やおじさん、
年金で細々と暮らしているおじいちゃん・あばあちゃんなんかは、本当に大好きだ。

 仕事があって出かける時には、時々お弁当作ってくれたり、
昔彼らが冒険者だった時の話なんかを面白く聞かせてくれた。貧乏生活してる時は、
生活品でいらないのや古いのがあったら分けてくれたし、冬のために編んでくれたマフラーなんかもある。
 勿論、それは今でも大切に持っている。

急に、目の奥がじわぁっとして来た。
 あ、いかんいかん。

「気を付けるんだよ」

「危なくなったら絶対逃げなさい。命があれば何度だってチャレンジ出来るんだから」

「出発の日には、大好きな料理でお弁当作ってあげるからね」

「うちの親戚がゾルゲフネにいるから、もしあっちの方に行くんだったら泊らせてくれるように言っておくよ」

「待ってるから」

「ジルヴァの商人は口が上手いからだまされない様に気を付けるんだよ」

皆、口々に言い始めた。

詳しい内容は話してないみたいだけど、あたし達がレシテルと一緒に長い旅に出るっていう事は、
おばさんから聞いたらしい。本当に心配してる顔で、皆思いつく限りの心配をしてくれた。

あったかい。

大好きだ。この人達。

必ずここに帰って来よう。

「み、皆まだ気が早いよ。あのクソガキが目的地決めないと、まだ出発しないんだし…」

喉が熱く震えているあたしに、リンが近付いて来て言った。

「キラ、もう行き先は決まったみたいですよ。彼はそれを教えに来てくれたんです」
 「だって、数日って言ってたじゃん!」

あいつがあたし達のために急いでくれるワケがない。

「あの子、徹夜で色々やってたみたいだよ? 
 ここに来た時、眠気覚ましに散歩したらキラちゃんとアレスに会った、
 って言ってて、昨日の事でやっぱりまだ悩んでるみたいだから、
 リンに行き先が決まったって事を二人に伝えておいてくれ、って。
 サラダはあたしが作ってあげたんだよ。訊いたら何も食べてないみたいだったからね」

おばさんが優しく言った。

何さ。聞いてないよそんなの。何か、何か一人でカッコつけやがって。
 別に、あたしとアレスは大丈夫なんだから、ディーナの丘で会った時に言ってくれれば良かったのに。
 しかも、徹夜だったんなら教育的指導なんかしなかったのに。さっさと帰って寝なさいって言ったのに。

何か、あたし最後の最後までレシテルにやられっぱなしだ。
 何だか………あたし、情けない。かも。

「で、何処だって?」

気を取り直してリンに行き先を尋ねる。

「ウチカトゥル山脈を東から迂回して、ティシュア王国を通過してドゥーマ王国に入り、ブルゲネス湿地帯…という事です」

「うげっ!?」

あたしは思わずちょっとお下品な声を漏らしてしまった。

別にあたしは五大陸の何処に行こうが(むしろ行きたい)、
マリドン多島大陸群より外に出ちゃったりなんかしても(むしろ行ってみたい)、全然オッケーなのである。
でも! でも! でも! ブルゲネス湿地帯!! あそこだけは何とかしてええぇええぇえぇぇ…………。

 根性無しって言われてもいい!弱虫毛虫、臆病者、何とでも言ってちょうだい! 
でも、あそこに行くのだけはいやああああああぁぁぁぁ!!!

あたし達は一回だけあそこを通った事がある。

ダルディア聖王国の北にある、トレナン共和国って所があるのだ。
 マリドン大陸を、地図で言えば左上から右下に向かって斜めに分けているウチカトゥル山脈っていう山脈があって、
それによってトレナン共和国は南北に分けられている。

 トレナン共和国の首都は、ダルディア聖王国のすぐ西に隣接してる南部ではなくて、
山脈の向こう側にある北部の方にある。そこに行き着くまでは三つの選択肢があって、
一つは今リンが言っていたウチカトゥル山脈を右回りに迂回して進んでいくルート、
二つ目はそれを左回りに迂回するルート。そして三つ目はウチカトゥル山脈を越えるという方法。

勿論、あたしは三つ目の案は即座に却下した。それに、左回りのルートは以前に行った事があるので、
軽率にも今度は右回りのルートで行ってみようという話になって、
それであたし達はトレナン共和国の首都トレナンに向って旅立った訳よ。

っはあああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。

あんな思いは二度としたくない。もう、絶対! 何があっても! 
あそこにだけは行きたくないって思ってたのに……。レシテルの馬鹿ぁ。
 よりによって、何であそこが目的地なのよう。あんな…あんな…リザードマンだらけの所!!!!!

昼も夜も奴等はあたし達を追っかけてきて、フシューフシューって耳障りな呼吸音を聞かせるの!
 いっその事襲い掛かって来てくれたんなら、よっぽど気がラクだったのに、
奴等はそこそこの知能はあるもんだから、下手に攻撃をしかけてきたりはしない。
 人間を食べるなんて事もないから、食べるために襲って来る事もない。

 命の危険はなかったものの、あんた、腰より下が水に浸かってて、素足に泥のぬるぬるとした感触を味わいつつ、
背丈の高い水草の隙間からビッシリなリザードマンにずっと見詰められててごらんなさい。
 一時間で頭おかしくなる事請け合いだから。

 でも、こっちがキレてリザードマン達を刺激したら、奴等は一斉に襲い掛かってくる。
 あいつらの数はそりゃあ半端じゃない。
 あんな大群に、しかも地理的に圧倒的にこっちが不利な状況で戦ったら、まず勝てない。

だから、ストレス抱えたままチャプチャプ水の中を、リザードマン達の視線を感じつつひたすら進むワケよ。
 自然とあたし達はストレスから無言になっていて、
だから余計に奴等のフシューフシューって呼吸音があたりに響き渡る。
 湿地帯を抜けた頃、あたしは半分ノイローゼになってた。
 湿地帯を抜けた後でも、あたしは奴等の呼吸音を幻聴で聞いたりして、かなり悲惨な状態だった。
 あのスピリチュアル・アタックにはさすがのあたしも脱帽だわ…。はぅ。

「どおぉおおぉおぉおおぉぉおおぉおぉおしても、目的地はそこな訳ね?」

念のために再度確認してみる。もしかしたら、あたしの聞き間違いっていう可能性もある。
 可能性がゼロでない限り、あたしは諦めないっ!

「はい」

                            神様の馬鹿。

いや、神様のせいというよりはクソガキ・レシテルのせいだろう。責任転嫁しちゃった。
 ゴメンね。神様。でもあんたも悪いのよ。いや、何となく。

「分かった。今日の買物リストの中に耳栓加えておくから」

腹を決めたあたしは、引き攣った笑顔を浮かべてリンにそう応える。

リンとアレスは、どーいう神経してんのか分かんないけど、
やつらの陰湿なスピリチュアル・アタックが気になんないらしい。
 ブルゲネス湿地帯は、どんなに最短距離のルートをとったとして、縦断するのに一週間はかかる。
 寝る時なんかは見張りをたてて板っきれを浮かべて、それに掴まって睡眠をとるんだけど(これがまた辛い)、
それにもたいして参ってる様子はなかった。
 「縦になったまんま寝るのって変なカンジですねー」とか、呑気な感想しかないのよ!? どうかしてる。

 それとも、あたしが繊細すぎるのかなぁ…。そうに違いない。いや、そうだ。

目的地の話が出てから、それまでのお別れの感動的な雰囲気はどっかに吹っ飛んでいってしまっていた。あーあ。

まぁ、とにかく買物にでも行かなきゃね。はぁ。

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