「ちょっとした仲間割れ」

翌日、あたし達は出発の準備を整えると、まずは目の前に横たわっているタフト河を渡る作業から、何とかしなければならなかった。
 昨日の夜、レシテルと話しながらあたしはタフト河の至近距離まで近付いていたんだけど、夜だったのでその大きさをよく実感する事は出来ないでいた。けど、朝になってあたしは改めてその大きさに、ただただ溜め息を吐くばかりだった。

やっぱり、思っていた通りだけど向こう岸が見えない! 灰緑色に濁った水は、ほんの小さな波を立てつつ延々とあたし達の目の前を、左から右に流れている。向こう岸を何とか見定めてやろうと、背伸びをしても目を細めても、鼻の下を伸ばしても、やっぱり見えないのである。
 やっきになって向こう岸の見えない河と格闘してるあたしを、レシテルはじーっと眺めた挙げ句に「…馬鹿」と呟いていたんだけど、あたしは夢中になってたので気付かなかった。気付いてたら、そんな不名誉な事言われて黙っていませんとも!

「キラ、水着になんないんですか? 俺、念のために海パン持って来てるんですけど、もし俺のたくましくて美しい半裸見たいなら、やっぱりキラも水着になるべきだと思うですけど…」

訳わかんない理屈並べてるリンを、よっぽと河の中に蹴り落としてやろーかとあたしは思ったけど、何とか自分を静めてそれを未然に防ぐ事が出来た。
 アレスはじぃっと河を眺めたまま、黙っている。
 まるで海そのものみたいなタフト河を目の前に、あたし達はどうやってこれを渡るかを考えていたけど、あたしの知らない所で打ち合わせしてたのか、レシテルはアレスに向って「始めるぞ」と言うと、乗っていたスティーラーを着陸させた。

「………………? 何すんの?」

アレスに訊いてみると、アレスもエキドナから降りてあたしに答えた。

「ブルゲネス湿地帯で、レシテルのスティーラー使って進むらしいから、その練習。二人でやらないと辛いから」

あぁ! 昨日の夜言ってた奴か! まぁ、そーだね。ぶっつけ本番でやるより、安全な(必ずしも安全とは言い切れないけど)場所で練習してた方がいい。まぁ、移動する距離なんかはタフト河の方がずっと短いけど、感覚を掴む程度の練習にはなると思う。二人とも魔法の腕は確か(レシテルについては、正確には「っぽい」と付けておいた方がいい)だから、初めからガタガタな心配は無いだろう。

ただ一つ心配なのは、二人の魔法の性質が合うかどうか。フレイさんの『お仕置き』の時に、フレイさんとアレスが魔法の相性を見定めつつ、二人で同じ場に魔法を重ね掛けするために研究してもらった、って話はしたけど、あれもすぐに上手く行く事はなかった。今回はどれ位で二人の魔法は安定するんだろーか。
 あたしはちょっと心配に思いつつ、エキドナの上から二人を見た。ん? あれ? 湿地帯通時はエキドナは、近くの村のマンディー社員に預けるって言ってたけど、今はどーなるんだ?

「ねぇ、レシテル。エキドナはどーすんの?」

あたしは自分の乗っている赤エキドナの首を撫で撫でしながら尋ねる。

「俺達が先に向こうに渡ってから、俺様が転移の魔法で移してやる」

転移の魔法?
 
 …聞いたカンジでは、移動に関する魔法みたいだけど…聞いた事ないなぁ。
 ふと、アレスを見るとじーっとレシテルを見てる。何だ? あ、何かごにょごにょ話してる。ん? 何やらアレスがレシテルに向って、何かお願いして駄々こねてるみたい。
 あたしは二人の年齢の事を敢えて考える事をせずに、肩に腕を回してくるリンをエキドナから蹴り落として二人に訊いた。

「ねぇ、ナニやってんの? んで、転移の魔法って?」

「……………………『禁呪』。俺も探してた奴だから、教えて欲しいって言ってるのにヤダって」

アレスがちょっといじけた顔で(珍しい)あたしを振り向きつつ言う。はぁ!? 『禁呪』!? そんな危険なもん使って、あたしの大切なエキドナちゃんをどーしよーってゆーの!?
 あたしは必死の形相になってレシテルに詰め寄る。

「却下! 却下! 却下! 却下!」

エキドナに乗ったまんま詰め寄ったもんだから、レシテルの奴ちょっとビビッてら。

「うわっ…………だ、じゃあどーすんだよっお前がその怪力で鳥持ち上げて、河渡んのかよっ! そーすんなら俺様は別に構わねぇんだぜ!?」

耳のピアスに触りながら(どーやら、焦った時に自分を落ち着ける時のクセらしい)、レシテルは目の前にあるエキドナの大きなくちばしを、ぐいっと押し退けて言う。あぁん、エキドナちゃんの顔に何すんのっ。

「………………深いの? この河」

あたしはエキドナちゃんのためなら、火の中水の中の覚悟で、一応アレスに訊いてみる。

「…………………多分、一番深い所でキラが縦に五人くらい積み重なったくらいは…あると思う…」

何てぇ例えで説明すんの。…まぁ、分かりやすいけど。
 ふーん、そっかぁ、じゃあ歩いて渡るのは無理だなぁ。他に何かいい手は無いものか…。

「転移の魔法は、『禁呪』って言っても危険な奴じゃないから大丈夫」

アレスがそう言って、レシテルの案に荷担する。ぬぬ?

「移動させたい先と、元の地点に二つ魔法陣を描いて、その二つの間で短い時間で移動するんだ。移動させたいものを、一回精霊の力で万物の大元になってる小さな粒にまで分解して、それを移動先の魔法陣で再構成させるんだ。これ使って、人分解したまんま元に戻さないとかの、悪用があったから『禁呪』にされてるだけで、基本的にはとっても便利な魔法」

アレスが時間をかけてあたしに説明する。あんまり多く話すのは得意じゃないから、一つの文章を言うにも結構時間がかかったりする。
 これにもちょっと理由があって、フォレスタから巨大な魔力を受け取った当時は、何をするにも力が作用してて、話すだけでも普通の言葉が『力ある言葉』みたいに力を持っちゃって、そりゃあ大変だったらしい。で、なるべく必要な事意外は話さない様にしてたら、その時のクセ…っていうかが今になっても抜けてないらしい。
 …………………つまり、元を正すとアレスは大して普通の男の子だったみたい。大食いでもないし、人並みにちゃんとした会話出来たみたいだし。…これってゆーのも、やっぱ全部フォレスタのせいだよね。

「却下! そんな危険な事するんだったら、あたしはもっと賛成出来ない」

「あぁ、もう、勝手にしろ。とにかく、今は俺達の移動が先決だ。始めるぞ」

短気なレシテルがそう言って、スティーラーに向って両手を突き出す。アレスもスティーラーを挟んでレシテルの向かいに立ち、同じ様に両手を掲げる。

「…………………だってさぁ、ねぇ? リン……あんたどー思う?」

半分シカトされたあたしは、エキドナをトコトコとリンの所まで引き返させてリンに意見を求める。リンはあたしに蹴り落とされたまま、エキドナには乗らないで立っていた。

「……………うーん…どうって言われてもですねぇ…。でも、多分スティーラー使うにしても、エキドナは慣れない所に乗せられて、しかも空中に浮かぶ訳だからビックリして暴れる可能性高いですよね? そしたら、今後大切な役目を持ってるスティーラーが壊れたり、失墜したりする恐れがある訳で…。で、自力で河渡るにも水深が半端じゃなく深くて無理な訳ですよね? …うーん、後なんかいい手ありませんかねぇ……」

考えてくれてるリンを見ながら、あたしはふと基本的な案を思い付く。そーよ、無理に空飛ぼうとしたり考えるから悪いのよ。

「ねぇ? 船は? 船。どっかに必ず渡し守みたいな人とか、船着き場とかあるでしょ? 以前あたし達ここに来た時、それ使ったんだから。あの時、エキドナや馬なんかを専門に乗せてる渡し船もあったじゃん!」

あたしが自分のあまりにナイスな考えに、ちょっぴり興奮気味に言うと、あたしはリンに向って言ってるってゆーのに、スティーラーに向って何やらブツブツアレスと言ってたレシテルが声を飛ばして来た。

「馬っ鹿じゃねぇの? じゃあ、こっから何処にあるかもハッキリしねぇ渡し場まで、今から移動すんのかよ? 俺はそんな時間のロスは御免だぜ。そーしたいなら、一人でやんだな」

…………………ホンット、意地悪いガキだ!

「じゃあ、あんたの使うその『禁呪』が失敗しないって保証は何処にあんの! 大切な移動手段、簡単に無くされたら困るんだけど! あんた、鳥、鳥、って言って馬鹿にしてるけど、エキドナの素晴らしい魅力を分かってない人間が、偉っそうな口叩くんじゃないわよ! 大体ね、エキドナってゆーのはね、マリドン多島大陸群の旧暦である…………」

エキドナに対してあまりにも辛く当たるレシテルに、あたしはそーやって延々とエキドナっていう生き物の素晴らしさについて説明してやったのであった。

「…でしょ? それで、そのエキドナを発見したゾルゲフネ出身の冒険者、ミラ・ジュ「もぉいい!」

………………真剣に説明してやってたってゆーのに、レシテルはこめかみに青筋を浮かべて、あたしのセリフに被せた。何よっ失礼な奴! これからがエキドナ発見の大切な所なのに!

「いーか? お前ら、俺が転移の魔法使ってる間、この女しっかり取り押さえてろよ? うるせぇから勿論口も塞いでな! 分かったか!?」

ラヂャ』

あぁっ!? どーして二人して声がそろってんの!? 裏切り者っ! あっ! レシテル! あんたいつの間にアレスとリンにマインドコントロールかけたわねっ!?

あたしが怒りにパクパク口を震わせてると、レシテルは再びスティーラーに向ってアレスと何やら話し込む。ううううううううぅぅぅぅぅぅっ。リーダーとして、あたしちょっと立場危険かも…。

 で、いじけたあたしをリンが慰めてる間、どーやら二人の話し合いはまとまったみたいで、二人ともスティーラーに向って真剣な表情をして精霊を集め始めた。
 微かにブレるものの、二人は驚く程にそろった抑揚で呪文を唱える。

『…我、乞い願う。
  万物に宿る偉大なる大地の精霊よ、
  我が任意の物質に宿り、一時的な変化を司れ。
  古き者と結合し、新しき者は古き者の記憶を分かち合え。
  偉大なる地の一族を呼び集め、我が前にして結合せよ。
  其は我が古き友人、我は其が力を求む者。
  此方に在る物質に宿り、その変化を遂げよ。集え!』

二人とも、真剣な顔をしてお互いの魔力の性質を合わせようと細心の注意を払いつつ、一つの呪文を唱える。時々、パチッていう音がして、二人の魔力の性質が反射し合う音がしたけど、それ以上の拒絶は無かった。打ち合わせの後に一発で成功するなんて、よっぽどこの二人の相性はいいのだろう。ふーん。

 あぁ、そうそう。呪文を唱えて、最後に魔法の名前を言って発動させる場合があるけど、あれはどっちかとゆーと、呪文を終えて魔法を発動させる時の合図みたいなものに近くて、結構意味が無かったりする。
 凄く研究した人なんかは、呪文の詠唱が必要な魔法をかなり短縮・凝縮させて、魔法文字を描いたり動作だけで呪文に代わるプロセスにして、一気に魔法名を唱えるだけで発動させる人もいる。でも、それってかなりカンペキじゃないと、失敗する確率が高いんだってさ。んで、その場合の魔法は、『力ある言葉』の魔法とは性質が違う。
 今回、お手伝いをお願いする大地の精霊は情に厚いので、命令するよりは自分は味方で友達だ、って強調しておいて彼らの協力を要請した方が上手くいく。それぞれの精霊の性質を見越した上で、呪文を唱えるのも一つのポイントだったりするんだ。

で、二人の合体させた魔法は上手くいって、二人の間でレシテルのスティーラーは微かな光を発しながら、少しずつ形を変えて大きくなっていった。凄ぇ。
 んで、五分位も経つとレシテルのスティーラーは元の形が分かんない位にまでバージョンアップして、そこにあった。うへー。変化を遂げてる間は、精霊が働いてるから二人とも精霊を制御するだけの魔力を放出し続けてる。スティーラーの変化が終った頃には、二人とも汗ビッショリになってた。

アレスが言うには、巨大な攻撃魔法より状態変化とかの入り組んでる魔法の方が、実は難しいらしい。危険は少ないんだけどね。で、特に大地の精霊っていうのは、四大って呼ばれてる精霊(火・水・風・大地)の中でも一番強い力を持ってるので、その精霊を制御するのは大変なんだって。
 四大の精霊は、それぞれ全く違う性質を持ってるから特にどれが一番強い、てのは一概には言えないんだけど、火の精霊は一番の攻撃力を持ってるし、水の精霊は癒しや補助のエキスパート。風の精霊はスピードとか移動を得意にしてる上に、攻撃も強力だし回復もある程度のレベルまでは出来る。そして、大地の精霊はこの世界にある水・火・風以外のもの(物質)全てに宿っている訳だから、数が多いイコール一番強い力を持ってるのだ。魔法としては地味なイメージがあるけど、高位の魔導士は地震とかの大技の魔法を使えるし、何と世界を構成する要素の条件が合えば、死んでしまった者を蘇らせる力も持ってるらしい。地味に見える奴ほど、実は凄いのだ。

「うおー…凄いパワーアップしたねぇ。お疲れぇ」

あたしはアレスとレシテルに駆け寄って、二人に何となくお疲れ様を言ってから、変化を遂げたスティーラーの前にしゃがみ込んで観察を始める。
 あたし達四人が乗る事が出来る大きさになったのは勿論、気を利かせてくれたのかボディの部分に色んな装飾やかっこいい形に突起が付いたりしてる。細工物が得意なドワーフが大地の精霊の眷族だけあって、彼らのセンスは素晴らしく良かった。うぅーん、このスティーラー売ったらいくらになるのかなぁ…。

「…よし、向こうに渡るぞ」

レシテルがゴーグルを引っ張って額の汗を拭い、脱いでいたコートを羽織るとすぐにニュータイプのスティーラーに魔力を与えて空中に浮かせる。

「ねぇ、レシテル大丈夫なの? あんた疲れててあたしたち落ちちゃったら大変だし…少し休んでからの方がいーんじゃない?」

あたしは二人の体力と、何よりも自分達の安全を考えて提案する。

「馬鹿野郎、これは一時的な魔法なんだよ。ある程度の時間が経ったら元に戻さねぇとなんねーんだ。グズグズ休んでる暇はねぇ」

そう言って、ゴーグルを装着すると大きくなったスティーラーの調子を確かめる様に、準備運動みたいな動きをさせる。

「ね、アレス。ずっと戻さなかったらどーなんの?」

汗をかいてるアレスを地図で扇いであげながら、あたしはちょっとした疑問を尋ねる。

「…働きに駆り出されて、雇用契約期間が過ぎても家に帰してくれない国と同じ。今、力を貸してくれた精霊が無理矢理自分達の力で離れていくか、元々スティーラーを構成してる精霊も巻き込んで分散しちゃうか、酷ければ大地の精霊全てを敵にまわす…かな?」

んげ。@突然スティーラーが元に戻る。A突然スティーラーが粉々に壊れる。B大地の精霊を敵にまわす。の三つの選択肢かぁ…。やっぱ、約束ってもんは守らないとロクな事になんないなぁ。大地の精霊を敵にまわす…てのは、あんまり想像出来ないけど、この世界の全ての物質に宿ってる訳だから…うーん、ロクな事じゃないのは確かだろーな。

「さっさと乗れ。鳥に積んでる荷物もだ」

スティーラーの上から威張り散らしながら、レシテルはあたし達に指示する。ったく、一体誰がリーダーなのか分からんわ。あたし達は、それぞれのエキドナに積んでいる荷物を降ろすと、大きくなったスティーラーに積み上げる。

「ねぇ、エキドナ見てなきゃ。あたし残ってる」

四人ともスティーラーに乗ってしまう訳にはいかない。あたしは人一倍エキドナを愛してる。それは誰にも負けない自信がある。つまり、この場合こっち側に残ってエキドナの見張りをするのは、あたしが妥当なのだ。

「あぁ?」

あたしがそう言い出したのを聞いて、レシテルは変な顔をした。何よ、文句ある?

「…そうしてもらおう、レシテル」

アレスが言うと、レシテルはあたしから視線を外して小さく舌を打ち、リンとアレスをスティーラーに乗せた状態で向こう岸に行ってしまった。

「…あーぁ、何かいい方法ないかねぇ」

これから、エキドナ達がレシテルの『禁呪』で移動されるのかと思うと、あたしは気が気でない。もしも、万が一レシテルが失敗したら…。

「ううぅううううぅうぅううぅううぅ」

あたしはいてもたってもいられなくなって、あたしの赤エキドナに抱き付く。何も知らないエキドナは、あたしを見て「クエ?」って。無垢な目であたしを見るのおおぉぉぉぉ! もう、あたしは悲しくて悲しくて、ついつい涙を流してしまう。
 あたしが泣いてるのを分かったんだろうか、エキドナは黄色くてフワフワした頭を、あたしにぐいぐい押し付けて来る。うぅ、慰めてくれてるの? いい子ねぇ。うっうっ。
 そのままあたしはエキドナに抱き付いたまま、このままエキドナを連れて、本当に渡し場を探しに行こうかと思っていた。

「………………何、鳥と抱き合ってんだ、馬鹿」

と、レシテルの声がし、二人と荷物を向こう岸に置いて来た奴はスティーラーを地面ギリギリまで下げると、静かに着地させる。あたしが咄嗟にエキドナ達を背にして両手を広げると、レシテルは呆れた声を出してあたしに言う。

「…お前、何で鳥なんかにそこまで出来んだよ…鳥に向ける位の心の余裕あるんなら…」

そこまで言って、言葉を濁らせる。”なんか”って何! なんか”って! こーいう奴が、人間が一番偉いって思い込んで、他の生き物をないがしろにするんだっ! こいつは敵! 敵!
 スティーラーから降りてこっちに歩み寄ると、レシテルは「ん?」と小さく声を出して、ゴーグルをおでこに上げた。ちなみに今日はショッキングピンクのゴーグル。バリエーション多彩な奴。

「何さっ」

レシテルが、それ以上近付いたらあたしはブーメランを突き付ける覚悟で、レシテルを睨み付けた。エキドナは殺させないんだからああああぁぁぁぁぁぁっ!

「…………………何で鳥なんかのために泣けるんだ………っかんねぇ」

あ、そーいや泣いてた。や、でもそれは大きな問題じゃない。今あたしには、レシテルに泣き顔を見せてるという事を気にするよりも、レシテルの魔の手からエキドナを守るという崇高な使命がある。

「…………………俺の事、信じたんじゃねぇのかよ」

大きな溜め息を吐いてから、レシテルは両手を腰にあててそう言った。

「それとこれとは話が別。あんたを信じれても『禁呪』はやだ! 恐いから」

「……………………しょーもねぇ女だな…」

レシテルはそう呟くと、一歩踏み出す。あたしは咄嗟に、エキドナを庇ってブーメランを構えた。……………こんな所でレシテルと殺り合うつもりは全然ないけど、でもあたしはエキドナが大切なのっ! それだけは誰にも譲れないっ!
 あたしが泣きながら、本気でブーメランをレシテルに向けていると、レシテルはちょっと変な顔をしてから、一つ溜め息を吐き、次の瞬間あたしの動体視力で追い付けない程の瞬発力であたしの懐に一歩で踏み込み        


「う……………ん、あれ?」

気が付いたら、あたしの視界には空が広がっていた。それも、雲が凄いスピードで流れてる…。ゆっくりと体を起こすと少しだるい。

「だぁっ!?」

と、あたしは自分の置かれている状況を一瞬で理解し、大声を上げた。

地面から大分高い場所…つまり、スティーラーの上にあたしは寝かされていたのだ。しかも、移動してる奴。次々と後ろに流れていく草原の景色を眼下にして、あたしは咄嗟にエキドナの姿を探す。
 泣き出しそうな、必死な顔で膝を着いたままスティーラーの上でごそごそと周囲を見回すあたしの姿は、お世辞にもかっこいいとは言えない。でも、そんな事に構ってられない程、あたしの頭の中はエキドナの無事を確認する事で一杯だった。

「……………………いたぁ…………………」

右側のやや後方に、いつも通り元気に走っているエキドナの姿を確認すると、あたしは脱力してその場にうずくまった。上から声がする。

「………どうかしてるぜ、お前」

確認しなくても分かる。あたしは顔を上げないで、黒い革ブーツの足を睨み付けたまま言い返す。

「うるさいっ! あんた、自分以外はちっとも興味ないんでしょ! 自分以外に、大切なものってないんでしょ!? だから、だからそんなにっ」

あたしは最後まで言葉を出す事が出来なかった。

「…………………うるせぇ、俺にだって大切なものの一つはある」

あたしを押さえつけたレシテルが、ゴーグルを片手で外してアイス・ブルーの目であたしを睨む。今、あたし酷い事言ったかもしんないけどっ! 絶っ対に謝らないっ! 動物に優しく出来ない人なんか嫌いだっ!

「…………………降ろして。エキドナで行くから」

レシテルの目を睨み返し、あたしは押し殺した声で言う。でも、レシテルはあたしを突き放すと、シカトして前方を向いたまま立ってる。……………もぉやだ! こいつ!

「いい! 降ろしてくんないんなら、自分で降りるからっ!」

ブチ切れたあたしは、ガバッと立ち上がるとアレスに魔法で受けとめてもらおうと思って、アレスに向って手を振る。あっ!? 馬鹿! スティーラーに乗ってるから嬉しくて手振ってんじゃないっ!
 あたしは、三人の間で決めてある合図を、遠くにいるアレスにわかる様に少しオーバーアクションでやる。戦闘中に話す暇がない時、音を立てちゃいけない場合とかは、あたし達は自分達で作った合図で、それぞれの望んでる事とかを伝える様にしてる。
 あたしが、『スティーラーから降りるから、風の魔法で受けとめて』って伝えると、アレスは少し躊躇してから『分かった』と合図を返す。よっぽどの事じゃない限り、あたしはこんな所から飛び降りるなんてしないんだけど、今はもう、レシテルの側にいるのも嫌だった。
 スティーラーの柵に掴まって、アレスの方を見ながら柵を乗り越えようとすると、レシテルが「何やってんだ! 馬鹿野郎っ!」って叫んであたしの腰に手を掛けると、思いっ切り後ろにぶん投げた。

「いたっ…痛いじゃない! 馬鹿っ!」

スティーラーの反対側の柵に頭をぶつけたあたしは、痛む後頭部をさすりながらレシテルを睨み付ける。もう、あたし達二人の雰囲気はどーにもなんない位に険悪だった。物凄く距離が近付いた直後だったから、余計にお互いに対して苛立ちが強い。

「死にてぇのか」

もう、怒鳴るレベルも通り越したレシテルが、恐ろしく冷え切った声であたしに言う。何となく、あたしはこいつがヴァンパイアやアンデッドに対する時の目を、今の目だと頭の片隅で思った。
 静まり返った、底の知れない沼の様な静寂と、恐ろしいまでの怜悧さ、そして、氷の様な冷たさ。あたしは、レシテルがそんな目をするのを初めて見た。

「………………あんたとこれ以上一緒にいたくない」

あたしも、もう怒鳴り合うレベルじゃなくなってて、どす黒い感情が物凄く激しく渦巻いているというのに、自分でもびっくりする位の静かな声でそう言い返す。もう、あと三日もすればブルゲネス湿地帯に着いていて、お互い協力し合って死線をくぐり抜けないとならない事なんて、頭になかった。

「………………俺よりも鳥の方がいいんだな?」

冷たい目であたしを見て、何だかズレた事をいうレシテル。そーいう問題じゃない。レシテルとエキドナは、比べる事の出来る存在じゃない。それぞれ、あたしにとっては全然違う意味を持った存在なんだから。

「あんた、何が言いたいのかわかんない。あたしは、エキドナだからどーでもいいって態度してるあんたが、凄く嫌なの。他の部分であんたの事好きな分、あんたがそーいう、最低レベルで嫌な所見せるのが、あたしには凄く嫌だ」

また、涙がこぼれて来た。畜生。あたしは一回泣いたら、結構止まらないタイプだったりする。その代わり、散々泣いたら当分は泣かないんだけどね。

「何で鳥にばっかり気遣って! 鳥庇うために俺に武器向けて! 鳥のために泣くんだよっ!」

「だからっ! 鳥ってゆーなっちゅーの! ちゃんとエキドナって言いなさい!」

レシテルが、多分半分混乱してそう怒鳴るもんだから、あたしも頭にきて怒鳴り返した。あぁ、もう! らちがあかないっ!

「もうっ! 馬鹿じゃないの!?」

あたしはそれっきり黙り、レシテルも黙ったまま、夕方のキャンプまであたし達二人は一言も口を利かないでスティーラーに乗っていた。レシテルはスティーラーを操縦・制御するために前を向いていたから、あたしはレシテルの姿を見ない様に胡座をかいて後ろ向きに座っていた。お陰で、あたしは流れる景色に目をとられて、すっかり酔ってしまったのである。…レシテルの馬鹿野郎。

あたし達は、キャンプを張って夕ゴハンを食べてる時もずぅっと喋らなかった。代わりにアレスとリンにはわざとらしいまでに明るく話し掛け、お陰でその場は何だか物凄く殺気走った雰囲気になっていた。人の感情に敏感に反応するエキドナ達は、いつもはお互いの羽根づくろいをし合ったりしてるんだけど、今夜は「クエ」とも言わず静かにしていた。
 いつもならこーいうパターンになったらあたしが先に寝るんだけど、前半見張りのアレスと話そうと思っていて、いつまでも起きていたもんだからレシテルは先に寝てしまった。
 昔ながらの三人になって、あたしは何となく安堵の溜め息を吐く。いくらリンが変人でも、アレスが人と頭の中身がずれていても、あたしはこの二人といると一番安心する。決して、レシテルの事を邪魔に思ったり、いない方がいいなんて思ってない。でも、レシテルはいい所もあるけど、その反面感情にムラがありすぎる。そして、あたしはそれについていける程、柔軟な人間でもなかった。

「……何か、疲れちゃった」

焚火を見詰めながら、あたしは頬杖を着いてポツリと言う。勿論、レシテルには聞こえない様に声のボリュームは抑えてある。

「…何だか、昼間スティーラーの上で随分言い争ってたみたいですけど…」

リンが控えめに言うけど、あたしはそれにあまり触れたくなかった。でも、体の中に毒を溜めておくのは悪いから、やっぱり言う。

「……あたし、レシテルに酷い事言った。でも、レシテルもエキドナは鳥だから、動物だから、人じゃないから、どーでもいいって態度とる。あたし、それが許せなくってさ…」

レシテルの事は好きだ。まぁ、少々扱いに困る時もあるけど基本的にいい奴だし、優しい時は凄く優しいし、いざという時には頼りになる。好きだから、だから嫌な人間になって欲しくないって思う。それは、あたしの押し付けだろうか。

アレスとリンは黙ってあたしの言う事を聞いていてくれる。

あぁ、やっぱり何かいいな。この二人といるの。沈黙になってても、全然気まずくない。焦って話のネタ探す必要もないし、沈黙になってるから相手が何考えてるか気にする必要も無い。人間、一人くらいはそーいう相手がいたら、結構ラクに生きていけると思う。
 一人でいるのは辛い。孤独は嫌だ。でも、人のいる所に行って色んな人を相手に、気を遣ったり話しを聞いてあげたり、そーいうのをずぅっとしてると疲れる。でも一人は辛い。そーいう時、側に誰かにいて欲しい。でも、話したくない、話す必要もない時もある。そういう時間を、空間を共有出来る人がいれば、それは一生もんだ。

「……レシテル、寝てるんでしょうか?」

リンがアレスにこそっと言う。

「…多分、昼間の魔法で結構消耗してたみたいだから」

アレスが言うには、スティーラーを大きくした魔法は二人でやったものの、精霊との交渉とかを引き受けたのはレシテルで、アレスはほとんど魔力の補助しかしてないらしい。アレスは地属性の相性はゼロじゃないものの、平均よりは低めだ。
 アレスからそれを確認すると、リンはあたしの方に携帯椅子を引き寄せてから、小声で言った。

「…キラは結局エキドナの移動をレシテルの『禁呪』でやったって思ってるみたいですけど、レシテルはあんまりにもキラが嫌がってたから転移の魔法は使わなかったんですよ?」

へ?

あたしは目を丸くしてリンを見る。リンは白銀のまつげの下で、綺麗な色の瞳を優しく細めて、ちょっと苦笑して続けた。

「…レシテルには絶対に言うなって言われてたんですけどね。でも、このまんまだったらずっとケンカしてそうですし、レシテルがキラの中でずっと悪者なのも可哀想だなぁっと…俺は思ったワケです」

……………………やだ。

あたしは自分が情けなさぎて脱力した。何か、いっつもこのパターンだ。あたし一人が空回りして、レシテルがあたしの攻撃の矢面に立ちながらも一番苦労してる。あ、何かレシテルに合わせる顔無くなって来た…。
 重たい溜め息を吐いて、あたしは膝を抱く。そのまんまの姿勢であたしはくぐもった声でリンに訊いた。

「…じゃあ、どうやってエキドナに河渡らせたの?」

「…河を凍らせたんです」

凍らせた? あのでっかい河を?

あたしはのろのろと顔を上げるとアレスを見る。アレスは寝てるんだか起きてるんだかわかんない表情で、ゆっくりとあたしに頷いてみせた。
 あたしは、スティーラーの上であたしの事を押さえ付けて怒っていたレシテルの顔を思い出す。今思えばあの時、結構顔色悪かったかもしれない。あたしは自分の事ばっかりしか考えてなくて、レシテルの体調の事なんて全然考えてなかった。

 いくらレシテルが強くて、魔法も白兵戦もこなせるとは言っても、やっぱり体力の限界って奴はあるし、高度な魔法を連発すれば勿論消耗する。
 大地の精霊を扱う事の難しさは説明したけど、水を凍らせるっていう単純に思える作業でも、その規模や水自体が持っているエネルギーによって、消費する魔力も変わって来るのだ。
 川や海の水なんかは、絶えず流動している。同じ自然の水でも、湖とか沼に大して魔法を使うのとでは大分消費する魔力が違う。自然な状態で動いているものを、無理矢理自分の支配下において凍結させるのだ。バラけたがる精霊を押さえ付けて、しかもあの広範囲をエキドナの重量に耐えられる深さまで凍結させる        あたしには、考えもつかない大技だ。

アレスと二人でやったのかと尋ねると、リンはゆっくりと首を振る。勿論、アレスは手伝うと申し出たらしいんだけど、意地っ張りなレシテルは自分のせいだから、って言って一人でタフト河を凍結させてエキドナを向こう岸まで移動させたらしい。

「……………………あたし、最悪」

やりきれない気持ちで一杯だった。何でこうなんだろう。

あたしは一見、自己中でワガママで暴力者かもしれない。でも、自分が悪いって思った時は素直に反省する。その時は、自分の馬鹿さがつくづく嫌になって、ズブズブと地中に埋まって行きたくなる気分だった。

「…あたしの方が年上なのに、結局はレシテルが一人で苦労してて、でもあたしはそれに気付かないで…レシテルの事責めて…。あたし、こんな嫌な人間になりたい訳じゃない…そうじゃないのに…何でいっつもこうなっちゃうんだろ」

何となくシラフじゃいられなかったので、あたしは濃度の高いアルコールが入った小瓶を出すと、それをらっぱで飲んだ。ちなみに成人は十八歳なので、あたしは堂々とお酒が飲める。

「…何か、お詫び出来ないのかな…多分、面と向って言ったら馬鹿にされて終わりそうだし…」

多分じゃなくて、絶対そうだろう。レシテルみたいに強烈な照れ屋には、正面から攻めれば必ず馬鹿を見る。もっとこう、気の利いた戦略が必要なのだ。

「…別に、特別な事はいらないと思いますけどね」

リンはそう言って、あたしの肩を抱き寄せる。いつもなら即、ぶっ飛ばしてる所だけど、今はちょっと弱ってるので抵抗はしなかった。別に嫌でもないしね。リンは家族だから。

「レシテルは何だかんだ言って、いつもキラの事気にして、キラの事想って行動してますから、こーいう事になってもあまり気にはしてないと思いますけどね。それでも気になるんなら、明日からいつも通りに接すればいいと思いますよ? 多分、それがレシテルの一番望んでいる事だと思いますから」

リンの胸に耳をくっつけてると、リンの声が低く響いて来る。リンはあたしの肩を抱いたまま、何となくゆらゆら動いてる。これはリンのクセなんだけどね。貧乏揺すりとはまた違うんだけど。あたしはお酒を飲んだのと、リンの声が心地良く体に響いて来るのと、そのゆらゆらで、だんだん眠くなっていた。

「…でも、本当に……そうなの…かな…。いつもったら、あたしまたクソガキとか、そーいう事しか…言わないけど…」

目が自然と閉じてくる。

「そういうのが、一番ラクな時も多分あるんですよ」

「…そ…かな……………………何で、そんなに、あたしの事…気にするんだろ…あたし……弟みたいに可愛がろうって…思ってはいるけど…実際、何もしてあげてないし………」

うーん…もう限界…。あたしは目を閉じる。

「…好きだからでしょう?」

「…あたしも………皆、好き………………」

そこまで言って、あたしの意識は心地良い眠りの世界に飛んで行った。リンはアレスに向って小さく笑うと、あたしを軽く抱き上げてテントに向ってあたしを寝かせた。

  

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送