エピローグ そして プロローグ
「俺はお前に死んで欲しくねぇんだ…」
レシテルの声がする。
その声はやけに響いていて、でも反響してるっていうよりはわんわんと何処までも、もったりとした空間に閉じ込められている感じだった。
「貴女に二つの選択を与えてあげるわ」
全ての感覚がグチャグチャに乱れている中、突如としてクリアなもの。
あたしの前に座っていたのはフォレスタだった。
あたしは、ゆっくりと体を起こす。そこは、何処とも言えない変ちくりんな所だった。
何処までも茫漠と広がる空間にも思えたし、砂漠や森林、海や大空とかの風景が重なって存在している様にも思えた。また、時計が無数にある場所にも思えた。
特定する事の出来ない場所。
存在が存在し、存在が存在していない場所。
カオス。
フォレスタはビロード張りの、小さいけど上品な造りの椅子に腰掛けてあたしを見ている。膝の所が尖って盛り上がっているのは、ドレスの中で脚を組んでいるからだと思う。
「………………何、ここ。あたし死んだんじゃなかったの?」
起き上がって周りをきょろきょろすると、アレスとリンが居た。二人とも怪訝な顔をしてる。あたしと全く同じ事を考えていたんだろう。
「アレス! リン!」
あたしは思わず二人に抱き付いた。ここが死後の世界だろうがなんだろうが、二人がいてくれてあたしは泣きたい位に安心した。
「ここは……?」
あたしに抱かれたまま、リンがフォレスタに問う。
「そうね……貴方達の概念で言うならば、幽体のみが存在出来る場所。貴方達の馴染みの空間でない事は確かね」
んにゃああああぁぁっ!? とすると何だ? あたし達、初・幽体離脱!?
あたしが口をパクパクさせてると、フォレスタは小さく首を振る。
「貴方達が幽体離脱と言っている現象とは違うわ。貴方達の肉体は死ぬ一歩手前の仮死状態にあって、魂が導かれるべき場所に流れてしまう前に、私が引き止めているの」
………………………つか、死んでるって事?
「そうね、簡単に言えばそう思った方が、貴方達にとっては理解しやすいかもしれないわね」
と、それまで周囲を興味深そうに見ていたアレスがボソッと言う。
「…………………前はもっと大人の姿じゃなかったか?」
こいつ…………フォレスタの姿なんかより、自分達の状況を心配しろっちゅーの!
フォレスタは、普通の人間とはズレたアレスの質問に少し面白そうに笑って答えた。
「私にとって、姿というものは意味を成さないのよ。その時の気分によって、好きな姿になるし、好きな年齢になるわ」
ほぇーん……………便利やなぁ。
あたしは何となく、ほぼ死んでるって事を聞いてから根性がすわっていてしまった。自然といつものペースになって、突っ込み入れたりしてるし。フォレスタに対しての、物凄い恐怖はもう無かった。
「貴方達が私を恐れたのは、死を恐れていたからよ。その気持ちが今は無いから、平常心でいられる」
さっきから思うけど、フォレスタってあたし達の心読んでる。うわ、なーんかヤなカンジ。
って思ったのも、多分分かっているんだろーけど、フォレスタは特に反応を示さなかった。あたしみたいのが何て思おうが(言おうが)、フォレスタみたいな存在になったら、ムカつくとかそーいう感情は多分ないんだろう。
つか、あたしは急にフォレスタが家族の仇だった事を思い出してフォレスタに怒鳴る。
「ちょっとあんた! そーいえばよくもあたしとアレスの家族を襲ってくれたわねっ! お陰であたしは両親の事忘れるし、アレスはアレスで何だかとっても辛い思いして、すんごい大変だったんだからねっ!」
怒りを込めてフォレスタに指を突きつけるあたし。でも、フォレスタは何にも感じてないみたいだった。あたしみたいのにそんな事言われて「この無礼者がぁっ」ってカンジで怒る事も、「人間なんて私達に食べられてとーぜんなのよ。ホホホホホホホ」なんて事も。
ただ、フォレスタは静かに言った。
「……貴方達が苦しんだのは私のせいよ。それは認めるわ。それでも、貴方達は家族が野生の獣に襲われたり、はぐれた低級魔族に襲われたのだとしても、それらを見つけ出して仇を討つつもりだったの?」
「そっそりゃあ……当たり前よっ」
フォレスタの琥珀色の瞳は静かにあたしを見てる。
「じゃあ、貴方達人間は、虫や動物が異常繁殖したから駆除する事はないの? しているでしょう? その虫や動物達が貴方達に向かって復讐をして?」
う……………………。
「でも! 虫や動物なんかは復讐するって心を持たな…………」
そこまで言って、あたしの言葉は途切れた。
あたし、レシテルと同じ事言ってる。
黙り込んだあたしに、フォレスタは追い討ちをかけるっていう雰囲気じゃないけど、言わなきゃならない事は言う、って感じで先を続けた。
「………人間は矮小だわ。そして、とても中途半端な存在。この世界が成り立つために必要ないくつかの世界の中で、最も混沌としている物質界の主。私達にとって物質界は庭くらいの程度のものなの。そして、そこに生きている人間は庭に生えている花の様なものだわ。花が増え過ぎると、どんなにその花が美しくても、他の植物のために摘み取らないといけない。そうしないと、他の植物は生きていく事が出来なくなるから」
あたしは黙ってフォレスタの言葉を聞いていた。
「均衡を保つためだとしても、花に感情があるという事は十分に承知しているわ。感情のある生物を殺しておいて、その怒りや憎しみを買うという事が分からない程、私は愚かではないから。でも、それよりも、私達にとっては世界の均衡の方が大切なの。人間は、それは恐ろしい程の勢いで繁栄を見せているわ。その生が短いだけにそれは激しく。だから、それがより多くの他の生態系を崩したりしているの。分かるわね?」
あたしは小さく頷く。
このやり場の無い怒りはともかく、フォレスタがあたしに向かって言ってる事は確かに正論だからだ。とても、反論出来る内容じゃない。
「思い上がった低俗な者はどうかは分からないけど、少なくとも私は悪戯に人間を襲ったり殺したりして楽しんでいる訳ではないわ。人間が増え過ぎたり過度な繁栄を見せようとしているから、均衡を計るために人間を狩り、私達の仲間が少ないから私達の仲間にする。それだけの事をしているだけよ」
だからと言ってあたし達の故郷の村を襲う事もないんじゃっ……って言い掛けて、あたしはそれを喉の所で留めた。
フォレスタから見れば、あたし達が害虫駆除をする時にどの虫の巣は潰さない、とか考えてしてる訳じゃないって指摘されるだろうから。それに、あたしがそれを言ってしまえば、じゃあ他の村を襲えば良かったのか? って事になる。自分にさえ害が無ければいい ? 保身。
あたしたち人間からすれば冗談じゃない話だけど、あたしはフォレスタが言いたい事が分かってしまったから、始祖に対して何も言う事は出来なかった。しばらく沈黙してから、あたしはフォレスタに言った。
「……………あんたの言いたい事は分かった。でも、あたしはあんたを許した訳じゃないから。仇を取るなんて事は不可能だろうし、あたし達が何かやっても、あんたにも痛くもかゆくもないだろーから、あたし達だって、無駄な事はしたくないから、何もしない。でも、あんたがあたし達に対してした事はあたしはずぅっと憶えてて、あんたを許さない」
「………………それでいいわ」
フォレスタは静かに言って、それでその事についての会話は終った。
それだけで終ってしまうっていうのは、それまで家族の仇を討つ事を目的としてきたあたしには物凄く失礼だとは思う。でもフォレスタと話して、あたしは自分の考え方を見直さぜるを得なかった。
勿論、すっきりと納得した訳じゃない。胸には「わだかまり」がぐるぐると、そりゃあ魔の海域にある大渦みたいに回りまくってる。アレスを苦しめた、(顔も思い出せないけど)あたしの家族を奪った、憎い憎い、そりゃあ憎ったらしい仇だけど…。
でも、それはあたしの「主観」だ。
「主観」なんてものは感情がないと成り立たないし、あたしは感情で生きてる様な人間だし。でも何だかフォレスタは本当に、あたし達が考えて想像出来る様な存在じゃなくて、そのフォレスタの思考とあたし達の思考を同じレベルで見て、同じ目線で比較して判断…てのはどう考えても無理だった。
どーにもならない感情のぐるぐるはあるけど、何だかこれはどう考えても何をしても永遠に解決しない問題の様な気がした。悔しいけど。もんのすごっく、悔しいけど。
んでもって、あたしは気を取り直して話題を変える事にした。
「あー…所で、さっき言ってた二つの選択って何?」
どーせロクな事じゃないんだろーなぁ、と思いつつあたしはフォレスタに訊く。
「このまま死んでしまうか、私達の一族として生きるか」
なーんとなく予想通りの事を、フォレスタは言った。あたしがそう予想してんのも、見越した上でフォレスタは言う。うーん、底の知れない奴だなぁ。
「うーん…死ぬのはヤだけど、ヴァンパイアになるってのも…なぁ」
あたしは自分の思ってる事を正直に言いつつ、アレスとリンの意見を求めて振り向く。どーせフォレスタの前だったら、嘘ついてもしゃーないもんね。
アレスは黙ってる。こんな所まで来て、あたしの選んだ道について来る気だ。
「………………まぁ、今の俺が死んじゃったのはどーしよもないみたいですから、俺も何となくどっちでもいいですねぇ」
地面(って言うのかわかんないけど)に胡座をかいた姿勢で、リンは何とも自分の命に対して無責任な事を言う。こいつっ! もっと自分の欲望に対してハングリーにならんかっ! てゆーか、「貴方、人間やめますか?」って訊かれてんだぞぅっ!?
何となくあたしは腹立って、リンをゲシゲシと足蹴にしてみたり。
「じゃあ、貴女次第ね」
リンを蹴ってるあたしを何となく楽しそうに見て、フォレスタはあたしに対して決断を求める。ふと、思い出したかの様に付け足した。
「一つだけ言っておくけど、今まで自分が人間だったから他の種に対して偏見を持つのは、あまり賢い考え方とは言えないと思うわ。実際、その種になった事もないのに嫌悪したりするのは、愚かな者の考えね」
……………………まぁ、言われてみればそーである。
「……でもさぁ、ヴァンパイアって色々制約ある訳でしょ? 何となく思うけど。まぁ、にんにくで死ぬなんてみっともない死に方はしないみたいだけど、レシテルにけちょんけちょんに殺られた奴の事とか見ると、あたしあんな陰気な所で生活する気ないし、あーいう死に方したくないし。希望を言うなら、どっちかっちゅーとお日様の下でお宝探しみたいな事をして生きていきたい訳ね」
素直に自分の意見を言うと、フォレスタは眼を細めて笑う。
「ヴァンパイアにも、魔界でそういう事をしている者はいるわ。勿論、今までの人間の世界にも自由に出入り出来るし、仮に貴方達がヴァンパイアになるならば、あの子に滅された者達の様な、簡単に滅する低級な者には決してならないわ」
……………………つかさぁ。
「もしかして、あんたあたし達に仲間になって欲しいの?」
あたしはそれまでのフォレスタの言葉から、ずっと思ってた事を言ってみる。
「…………そうね、貴方達は少し変わった人間だし、私自身が興味があるのは確かだわ。ここの所、つまらない人材が多いんだもの。少し位変わった人にもいて欲しいのよね」
………………………お前はアイドル養成所のスカウトマンか。
「俺達が簡単にやられないっていう保証は?」
後ろからリンがフォレスタに訊く。いくら女なら何でもオッケーなリンでも、フォレスタ相手にどうこうする気はないらしい。ま、そりゃそーだわな。
「保証? この私が直々に命を与えるのでは…保証にならないかしら?」
フォレスタは微笑んで何だか凄ぇ事を言った。
始祖から直接ヴァンパイアにされるんだったら…、何だかとてつもなく強い奴になるんとちゃう? 終りの無い人生ってのもなぁ………。
基本的にあたしは人間である事が大好きで(自分が人間だから)、その限りある命の中でどんだけ頑張れるか、ってゆーのを自分自身に対する挑戦みたいなカンジで生きようと思ってたのだ。
よく、不老不死を求める奴とかいるけど、不老にしても歳とるって事を嫌悪する気持ちはわからない。あたしは将来、格好いいおばあちゃん盗賊になりたいって思ってるし、ダルディアのおばさんみたいな人にも憧れてる。
不死については問題外。やりたい事がいっぱいあって、好きな事するためにずっと生きていたいってのは、誰しも一生の中で一度は思うかもしれないけど、自分の事を知っている、自分が知っている人が死んでいく中で一人孤独に生きる事なんて辛すぎる。新しい友達をどんどん作っていけばいいんじゃないか、とも思ったけど、友達がどんどん死んでいっても自分は死なない。そんな事を繰り返していれば、きっとあたしは気が狂う。じゃあ、皆が不老不死になればいいなんて思えば、それはただの絵空事だ。それじゃあ世界は成り立たない。
この場合はアレスとリンも一緒なんだろうけど、でも………。
あたしが尚も迷ってると、フォレスタはとどめの一言を言った。
「人間の世界は、貴方達の生活していた場所よりももっと広い場所もあるけれど、同時に魔界もそれは広大なのよ。そして、貴方達が想像もした事の無い生き物や宝、植物、現象…全てが刺激のあるものだと思うけど」
何だか、フォレスタの口車に乗せられて、あたしはワクワクして来てしまっていた。見た事のないもの…なんて言われたら、冒険者魂がちくちく刺激されてしまう。そして、多分世界は物凄く広くて、色んな所に行ってたら永遠に近い命もつまんないって事はないかもしんない。
あたしは、リンとアレスを見る。
「キラが決めていいですよ、俺はスイートハニーの決定なら従いますし、俺はキラが一緒にいてくれればそれでいいですからね」
リンがそれは軽〜い口調で言った。
アレスも無言で頷く。
「んじゃ、決まりっ! フォレスタ、あたし達ヴァンパイアになるわ」
あたしの決定を聞いてフォレスタは微笑んだ。
まぁ、ヴァンパイアの始祖に気に入られるってのも変な話だけど、見返りが十分過ぎる程にあるなら、それもいいだろう。結局、あたしは冒険とかお宝に弱いのであった。てへ。
「……………あのさ、レシテルの事なんだけど……」
あたしは最後に見た、フォレスタによって真っ二つになり、盛大な血の噴水を上げて倒れたレシテルの姿を思い出して言い出す。
どーせなら、レシテルもヴァンパイアにしてもらえないだろーか。……………つか、あたしに勝手に決められてもレシテルにはいい迷惑だろーなぁ。ちょっと葛藤しつつ言うと、フォレスタはあっさりした声で言った。
「あぁ、あの子なら問題ないわ。あれ位で死なれたら私だって困るもの」
フォレスタがそう言うと、あたしがその言葉の意味を理解しない内に、急に回りの景色がぐにゃりと歪んだ。いや、視覚的に歪んだだけじゃない。何てゆーか、空間そのものがゆが…うわっ気持ち悪ぃっ! うぉええええぇえぇえぇえぇええぇえぇえぇっ。
で、次にあたし達が覚醒したのは、ヴァンパイアの礼拝堂だった。
さっきのフォレスタとの会話は夢だったんだろーか。あたし達は死ぬ直前で、ぐったりと床に横たわっていた。体が重い。もう、既に五感は正常に機能していなく、体が冷たくて重いっていう事しか感じられなかった。
呼吸は浅く、薄く開けられた目を閉じる事も開ける事も出来ない。
目の前にフォレスタのものと思われる、ドレスの裾が現れる。
「じゃあ、貴方達には私の新しい子供になってもらうわ」
外見年齢十二、三歳くらいのフォレスタにそんな事を言われても、あたしはピンと来なかったけど、彼女の言っている意味は分かる。
フォレスタはしなやかな手であたしの両肩を持つと、ゆっくりとあたしの体を持ち上げて膝の上に乗せる。優しくあたしの髪を撫でて、首筋を出すとそこに唇をつけた。
目の前に、黒いドレスに包まれたフォレスタのお腹があって、フォレスタからは何だかとてもいい匂いがした。あたしの知ってるどの香料とも違う。首筋にそっと着けられた唇は、少し湿っていて冷たかった。
「少し苦しいけど、我慢するのよ?」
うーん、よもや仇だと思ってたフォレスタによって、あたしがヴァンパイアになるなんて、ちっとも思わなかったなぁ…。
ぼんやりとした意識の中でそう思うと、フォレスタの口が開かれてあたしの首筋に牙が立てられた。ブツリと皮膚が破られて肉に牙が刺さる。でも、あたしは苦痛も何も感じなかった。体が死にかけてるから、痛覚も何も麻痺しちゃってるのだ。
ヴァンパイアは蚊みたいに、血を吸う前に特殊なものを人間の体内に注入する。蚊の場合は刺す時に痛みを伴って、人間に気付かれない様に麻酔の様なものを入れる。ヴァンパイアの場合は、自分の組織の一部を入れるんだそうだ。
それが血を吸われた人間の中に入り込んで、元の組織を負かして成長した場合、その人間はヴァンパイアになる。組織が弱くて育たなかった時は、その人間は単なる出血多量で死ぬ。
で、あたしの場合相手が始祖なもんだから、その組織って奴は物凄く強力であたしがヴァンパイアにならない確率はゼロ。うえぇ。
と、フォレスタがあたしの血を吸い終わって口を離し、いきなり自分の手首を口で噛み切ると、そこから流れる血をあたしの口の中に注ぎ込む。ポタポタと、生暖かい血が口の中に入る。あたしはそれを、最後の力を振り絞って飲み込んだ。
「頑張りなさい」
フォレスタはそう言って、次にアレスかリンのどっちかに取り掛かるためにあたしから離れた。
しばらくは、何も変化はなかった。
今までと同じく、もったりとした死があたしの体を包んでいる。
フォレスタの奴、失敗したんじゃ…と思った時、あたしの体の中で何かが急激に膨れ上がって沸騰した。体が痙攣して、勝手に跳ね上がる。苦しいっ! こんなに苦しいなんて聞いてないいぃぃっ!
もう、あたしの体は内側から爆発しそうにドクドク脈打っていて、体の中であたしの組織とフォレスタのヴァンパイアの組織とが、熾烈な生き残り戦を繰り広げているのが分かった。ヴァンパイアになる為にこんな事してるっちゅーのに、あたしは思わず自分の組織を応援してしまう。頑張れっ! あたしの組織!
でも、苦しいもんは苦しい。無意識にのたうちまわってるあたしの手を、誰かが握ってくれた。フォレスタだろうか。とにかく、あたしはその手を思いっきり握って、爪なんか立てちゃったりして、散々ボロクソにした挙げ句、急に体から全ての力を失ってぐったりと横たわった。
冷たい。
重い。
あたしの体から、全てが失われ そして、一気に体が軽くなった。今まで感じた事のない爽快感。知覚が今までの数十倍くらいになった感じで、何だか変なクスリでもキマったんじゃないだろーかってカンジ。
それでも、散々苦しんだ体はぐったりとしていて、あたしはしばらく動く事が出来なかった。手を握っていてくれた誰かが、あたしを膝の上に乗せて寝かせてくれる。そして、何度も何度も、繰り返し優しい手で髪を撫で続けていてくれた。
………………………ん?
くんくん。
革臭い。
革といって思い出す人は一人しかいない。
あたしは重い瞼をうっすらと上げる。と、いきなり目の前に悶絶して転がってるリンの顔があった。うおわぁっ!? び、びっくりしたぁ…。
美っ形なリンの顔しか見た事なかったけど、白目むいて口から泡出して、髪振り乱して転げ回ってるリン。う……。あたしもあーだったんだろーか。
んで、目線をやや下に向けると見知った厚底のブーツの、細い脚が投げ出されていた。革のパンツに包まれた脚を、革のロングコートが覆っている。
あたしは力の無い手を伸ばして、目の前のコートの裾を掴む。
背中に伝わっている熱は、生きている事をあたしに伝えていた。
「レシテル…………」
名前を呟くのと同時に、あたしの目から大粒の涙が流れて頬を伝い、レシテルの脚に落ちた。
「ま、お疲れって事で」
いつもと変わらない口調で、レシテルはあたしに言って頭をポンポンと叩いた。
「何で生きてんのよう…」
うえうえ泣きながら、あたしはレシテルを詰問する。何で生きてんのかっていう疑問よりも、だまされたっていう怒りよりも、ただ、レシテルが無事だったのがたまらなく嬉しかった。
「まぁ、色々あってな」
レシテルはそう言うと、あたしを抱き上げて礼拝堂の椅子の上に座らせた。そして、あたしはようやっとレシテルの無事を自分の目で確かめる事が出来たのだ。
いつもと変わらないレシテルが、あたしの目の前に立っていた。
細い体。憎たらしい位に整った小さな顔。白いほっぺに刻まれたタトゥ。ツンツン尖ったプラチナブロンドの髪と、おでこにあるゴーグル。全身革でかためたスタイル。背中のでっかい武器。
全部、あたしの知ってるレシテルだった。
でも、
「あんた、ヴァンパイアなんでしょ?」
あたしが言ってみると、レシテルはちょっと意外そうな表情をして、それでも誤魔化さないで肯定した。そーいえば、レミアと話してる時レシテルはヴァンパイアじゃないって事は一言も言わなかった。ただ、自分は誰の指図も受けないって事を言っただけだった。レシテルは何も嘘を付いてない。
「………………そーいえば、あんたのおでこに付いてたマーク、ここの扉やら祭壇の上についてる十字架みたいなマークと一緒だもんね」
あたしはウンディーネに呪いを掛けられて寝込んでいた朝を思い出して、ポツリと言った。それにレシテルは怪訝そうな顔をして「何で知ってる?」って訊いたもんだから、あたしは素直に教えてやった。
「ばっ…馬鹿野郎っ! 他人のもん勝手に見んじゃねぇよっ! 狸寝入りしやがって! 心配してウンディーネに話つけてやった俺が馬鹿だったぜ!」
「何さっ! 気付かなかったあんたが悪いんでしょっ!? あたしは初めっから目開けてたわよっ! 気付かないあんたがクルクルパーなのっ! ぶわーか!」
んで、あたし達は苦しんでのた打ち回ってるアレスとリンの側で、いつも通りの物凄い口ゲンカを始めたのであった。
凄く、嬉しかった。
あたし達が三人共無事に(?)ヴァンパイアになってしまうと、レシテルは何となくポツポツと話し始めた。
レミアの姿も完全に無くて、礼拝堂は七色の光で彩られたまま静かにあたし達を包んでいる。天使達はレミアの魔力でどうにかなってたのか、手枷や鎖なんかはそのままに、檻の中から忽然と姿を消していた。あーあ。
レシテルがヴァンパイアになったのは、今からずぅっと前、百年は昔らしい(ジジィだったんだ…こいつ)。まぁ、辛い人生を送ってきたらしく、加えて美形だったので何となくフォレスタは気に入って、カプってやっちまったらしい(迷惑な話だ)。
まぁ、元気だった所を襲ったんじゃなくて(フォレスタはそんな事はしないんだって)、死ぬ寸前だった所を問答無用で力を与えたらしい。
で、勿論レシテルは勝手にヴァンパイアにされた事を、それは猛烈に怒ってフォレスタをぶち殺そうとして、今も追い掛けてるらしい。決してフォレスタはレシテルなんかに殺られないし、力の差は歴然としていても、お馬鹿なレシテルは打倒・フォレスタ! で頑張ってんだって。なんだか玉砕覚悟の恋する乙女みたい。
おでこのマークは始祖であるフォレスタのマークで、ヴァンパイア達の城や屋敷なんかには、敬ってる印として必ず何処かにある。それは別にフォレスタが命令させてやってる訳じゃなくて、勝手にやってる事らしい。で、あたし達(あたしとアレス、リンにも付いてた)に付いてるのは、フォレスタに直接力をもらったていう証拠なんだって。
どーやら、魔物の故郷である魔界っていう異界には、ヴァンパイアの五公爵家ってゆーのがあるらしく(レミアの言ってた奴ね)、その五つの公爵家の主はあたし達と同じくフォレスタの子供っていう意味でおでこにマークがあるんだってさ。で、公爵家の主の中には、元から魔界生まれでフォレスタの子供として生まれたのもいるし、あたし達と同じ様に噛まれて人間からヴァンパイアになった奴もいるんだって。
「……………つかさぁ、あんたヴァンパイア・ハンターになったの五年前なんでしょ? それまで何やってたワケ?」
あたしの質問に、レシテルは笑って答えた。
「俺様はフォレスタをぶち殺すために研究に研究を重ねてだなぁ、この武器やら精神感応物質の開発やらをしてたんだよ。お陰でその間、髪はロン毛だわヒゲはボーボーだわで………」
「根暗」
「何だとこのアマっ!」
「うっさい!」
のわぁっ!? いきなりアレスがあたしとレシテルの間に、顔突っ込んで来た。
「………フォレスタを恨むのは分かるが、何で他のヴァンパイアの浄化もしてるんだ?」
いきなりマトモなアレスの質問。ちなみにこの間、フォレスタも椅子に座ってあたし達の話を聞いていたりする。目の前でぶち殺すとか言われてんのに、微笑んでるたぁ………なんとも寛大な奴だなぁ。
「あ? 別に対した理由なんてねぇよ。俺はヴァンパイアって奴が大っ嫌いなんだ。……まぁ、同族嫌悪って奴か? ヴァンパイアなんて下らねぇもんになっておきながら、喜んでヴァンパイア人生満喫してる奴とか見ると腹立ってくんだよなぁ…」
別にあたし達に対して隠す事もなくなったので、おでこのゴーグルを外したレシテルは、本当に嫌悪感露にそう言った。
つか、フォレスタのお宝とか冒険とかいう言葉に刺激されてヴァンパイアになったあたし達は、何だか肩身の狭い思いをして、こそこそと三人で固まって正座したり。それを見てレシテルは、照れてんのかそっぽ向いて言う。
「別にお前らの事言ってんじゃねぇよ。望んでなったつったって、俺が嫌ってんのはヴァンパイアが高貴な一族だとか何とかぬかしてる奴らの事言ってんだ。お前ら庶民がそんな高等な事言うなんて思ってねぇしな」
ムッカァ! まぁた庶民って……。
「レシテル、俺には何だか物凄いカンジで殺された様に見えたんですけど、どうやって生き返ったんですか?」
リンが耳のピアスを指でいじりながら、レシテルに訊く。リンの場合はレシテルみたいに、意味はない。ナルシストは常に自分の体の何処かを触りたがる。ってゆーのが、あたしの見解。
「あぁ、別にあれくらいどーって事ねぇよ。あんな事くらいじゃ死ねねぇな。まぁ、フォレスタの奴も派手にやってくれたけどなぁ」
レシテルが鼻をこすりつつ、フォレスタを睨む。つか、あんな事って…。
そして、レシテルくんに質問しよう大会に便乗して、あたしも素朴な疑問をしてみる。まぁ、説明臭いけど分かんない事は明らかにしといた方がいいもんね。
「はーい。はいはい。あたしからも質問。あんた、ヴァンパイアで魔族なのに何で聖属性つけた武器振るったり出来る訳? しかも、見た事無いけどヴァンパイア・ハンターギルドに所属してるって事は聖属性の魔法も使えんでしょ?」
レシテルは質問攻めなのにそろそろイライラして来たのか、口を斜めに歪めて溜め息を吐いてから説明してくれた。
「あぁ…俺様の武器に別に聖属性の魔法なんで掛かってねぇよ。ただ、あれには俺様の意志の力が込められてるからな、魔族ってのは大体意志の固まりみたいなもんで、肉体なんかはあんまし重要じゃねぇんだ。自我が破壊されたらそれでオシマイ。んで、魔族なのに聖属性とかなんだけどよぉ…」
レシテルはそこまで言って、どう説明していいものか少し考えようとしたらしいけど、話の続きはフォレスタが引き継いだ。
「私が説明してあげるわ。魔族だから悪い、属性は闇…っていうのは安易な考え方ね。そもそも、性質が正と負であるという事と善悪などは関係ないわ。善悪は心を持つ全ての者に宿るもの。例え貴方達が魔と呼んでいる者にも、その者なりの善というものがあるわ。だから、魔族に聖属性の魔法が使えないという考えは間違いよ」
ふーん? 何だか…フォレスタの言う事はいっつも難しいけど…。あたし達が今まで思ってた事ってゆーのは、結構嘘もんが多いんだなぁ。迷信とか。
あ、レシテルが面白くなさそーな顔してる。自分の出番取られたからだろう。
「しゃしゃり出てんじゃねーよ」
思った通りフォレスタに文句たれてる。でも、フォレスタは微笑んで受け流すだけ。うーん、奴はあーいうタイプが弱いのか…。
「話はこれくらいでいいのかしら?」
と、フォレスタがあたし達を見て言った。
「うん、まぁ」
あたしが代表として返事をすると、フォレスタは優雅に立ち上がってあたし達に言った。
「じゃあ、行くわよ」
「へ? 何処に?」
フォレスタの代わりにレシテルが答えた。
「お前らは高位魔族に生まれ変わったからな、一回魔界に行ってそれなりの手続きとか何とかしねぇといけねぇんだと」
それを聞いてあたし達三人は顔を見合わせて、イヤぁな顔をした。つか、夢が無さ過ぎる。高位魔族が住民登録?………………何だか魔界ってトコもロクなもんじゃなさそうだなぁ……。
「レシテル、あんたは?」
あたしが訊くとレシテルは、またゴーグルをおでこに付けてから答えた。
「俺は今まで通りの生活に戻る」
…………………………あ、一緒じゃないんだ。
レシテルの答をきいて、あたしは階下でヴァンパイアを浄化させた時のあたしの恐怖を思い出し、そしてそれを感じて深く傷付いたレシテルを思い出した。今、何事も無かったかの様にしてるけど、それは始祖と会ったとかヴァンパイアになったとかのゴタゴタですっかり忘れていた。
謝らなきゃ。
そう思うけど、言葉は出てこなかった。
「…………ダルディアのヴァンパイア・ハンターギルドにいるんでしょ?」
代わりに違う言葉が出てくる。何だかもうレシテルに逢えなくなっちゃう様な気がして、あたしはレシテルの居場所を把握しようとする。きっと、必死な顔をしてたんだと思う。レシテルは苦笑…の様な、「仕方ねぇな」って言う様な顔で答えた。
「最終的に帰る所はな。でも、俺様は有名人だから依頼やら何だかで引っ張りだこだからな。そんなに一ヶ所には留まってねぇな」
…………………なーんだ。
ん? 何かあたしガッカリしてる? …………? ま、いっか。
「まぁ、お前らは新人魔族だから、しばらくは魔界で色々新人の心得とか勉強しねぇとならねぇから、そうカンタンに人間界に来るこたぁねぇだろ」
んあ? 人間界で好き放題お宝探し出来るんじゃないのっ!?
あたしはギロッとフォレスタを見る。と、奴は何気なく祭壇の方を向いて誤魔化したりしてる………あんにゃろう。ガセだな。
「でも、人間界も魔界も自由に行き来出来るのは本当よ。ただ、この子が言っている通りに、魔族には魔族のルールというものがあるから、それをわきまえてもらった上でないと、自由な行動はあまり慎んで欲しいのよね。それに、私の他の子供達にも一応紹介した方がいいと思うし」
…………………ふーん?
ま、だまされたと思って行ってやりますか。魔界に。
「じゃ、あんたとはお別れね」
「………………お前、あっさりし過ぎてねぇか?」
悲しいのをこらえて言ったあたしに、レシテルは何だか疑いの眼差しを向ける。失礼だなぁ。何よ、取り付くしまもなくしたのはそっちのクセに。
「気のせいだってば」
あたしはそう言って、つんと首を横に向けるとフォレスタの方に歩み寄った。
「アレス、リン! 行くよ」
あ! そーだ! 思い出したけど、ブルゲネス湿地帯の手前にある村に、エキドナと荷物と預けっぱなしだったんだ!
「レシテルっ!」
あたしは踵を返すとレシテルの前まで歩き、その細い肩を両手でガシッと掴んだ。
「なっ…何だよ」
何だかうろたえてるレシテルに、あたしは精一杯可愛らしい笑顔を浮かべてレシテルに頼んだ。人にものを頼む時は笑顔を添えると結構効果的なのよねぇ。
「レシテルっ! あんたにお願いあるんだけど、あたし達の荷物ダルディアのおばさんのトコまで運んどいてくんない? あと、エキドナは無期限レンタルらしいから、この際ずっと借りちゃおうって事でダルディアのマンディー社まで連れてってくれると助かるんだけど」
あ、すぅっごく嫌な顔してる。
「ねっお願いっ! お願いっ!」
あたしはレシテルの肩を掴んだまんま、ゆさゆさとレシテルを揺さぶりつつお願いする。こいつには下手な手は通用しないだろーから、ただ拝み倒すに限る。
「………………他は」
「へ?」
「他にヤボ用はねぇのかって訊いてんだよ」
おぉ! 頼み聞いてくれるんか。やったぁ! えーとね、そんじゃね…。
「おばさんと、宿にいたらカースと、クロとフレイさんに、あたし達無事だって言っておいて。ちょっと予定変更して、寄り道してから絶対に帰るからって」
レシテルはちょっと黙った後頷いたけど、顔をしかめて付け足す。
「別についでだから構わねぇけど、あのケツ顎戦士だけは断る」
「何でよっ!何でカースだけに意地悪すんの?」
む?後ろでリンが笑ってる。むむ。フォレスタまで何だか意味ありそうに微笑んでる。ヤなカンジぃ。
「俺はケツ顎は嫌いなんだよっ!」
レシテルはリン達を一瞬物凄い顔で睨み付けると、大きく息を吸い込んでからでっかい声で言った。なーんか、すっげぇ勝手な言い草…。
「いいって。分かった。じゃ、カースには言わなくていいから。どうせおばさんが伝えてくれるに決まってるし。でもねぇ、人の好き嫌いを外見で判断すんのはどーかと思うんだけど、あたし。顎が割れてても別に害はないでしょ?」
「うるせぇな、俺様の勝手だろ」
……………………………かっわいくねぇ。
「じゃ、頼んだから」
あたしはレシテルに念を押すと、フォレスタ達の方へ歩く。何か、レシテルとこれっきりっぽいのもちょっと淋しいけど、こいつ相手にしんみりとお別れするのは無理だろうと断定して、あたしはそれで終わりにする事にした。
あたしのお別れが済んだと判断したフォレスタが、しなやかな腕を優雅に振ると、あたし達の目の前の空間がぐにゃりと歪んで、ドアのない扉(枠だけ)が現れた。おぉーっ! 凄ぇ!
「……………ね、ねぇフォレスタ。あたし達、新人だからって……こう、いびられる事なんて……ないかなぁ」
あたしはちょっと気弱になってフォレスタに訊いてみた。だって、高位魔族なんて見た事ないし、しかもあたし達みたいな人間がその五公爵家みたいな、凄そうな人達と同じ立場っていうのも、何だかやっかみ受けそうな気がすんだよね。
「心配はないわ。そのために私が彼らに正式に紹介するんだもの。それに、あまり普通の人間の感覚で魔族を計らない方がいいわ。人間と違って、他者に対するコンプレックスや嫉妬なんかは、あまりしない種だから。それぞれが、自分の事を全体と考えないで個と考えているのよ」
うん? 何だか小難しい話してるけど、要は大丈夫って事なんだよね?
「じゃあ、レシテル」
アレスがレシテルに向かって手を振った。それに続いてリンも申し訳なさそうな、変な顔をして手を振る。あたしは しばらくレシテルを見詰めてから、舌を出した。
「んなっ?」
レシテルは、このあたしが愁傷な挨拶でもすんのかと思ってたのか、目をむいてあたしを睨む。ホホホホホホホ、読みが甘いわよ。
「あたしはねぇ、あんたみたいなクソガキに愁傷に別れの挨拶なんて言ってやんないよーだ。どーせ、また自意識過剰で偉っそうな事言いながら登場しそうだし。そんな日には、愁傷に挨拶した事後悔しそーだから、あんたなんかに挨拶はしてやんないっ」
何だか、お別れの挨拶なんてしちゃったら、そのままずっと会えなさそうな気がしたから、あたしはレシテルに挨拶をしない事を決めた。
「……………………あ、そ」
あたしの意図を理解したのか、レシテルはそれ以上何も言わずに両手をコートのポケットに突っ込んだ。ん? 何でピアスいじってんだ?
あたしはちょっと餞別代わりにレシテルに指摘してやる事にした。
「あんたねぇ、偉そうな顔してポーカーフェイス気取ってんのかもしんないけど、動揺した時に誤魔化すためにピアスいじるクセ、止めといた方がいいよ。すっごく分かりやすいから」
あたしがそう忠告してやったら、レシテルの奴ポカーンとした顔してあたしを見詰めた。珍しく間の抜けた声で言う。
「………………俺、そんな事してんのか?」
「してるって。気付いてないの?」
呆れて言うあたしに、レシテルはバツが悪かったのかピアスをいじろうとした手を、強制的に行き先変更させてタトゥの入ったほっぺをポリポリと掻いた。
気付いてなかったんだぁ。
ま、無くて七クセってゆーもんね。
「ほんじゃ、まぁ、くたばんないよーにね」
あたしがレシテルにそう言うのを聞いてから、フォレスタが扉の中に入る。黒いドレスをまとった小柄な体は、水の波紋の様な跡を空間の歪みに残して消えた。その跡に、興味津々な顔のアレスが続き、おっかなびっくりでリンが飛び込んだ。
で、あたしが入ろうとした時、急にレシテルが走ってあたしに突進してきて(恐いって!)、あたしの腕を掴んだ。
「痛いっ! 馬鹿!」
力のセーブしてないすんごい力で掴まれたもんだから、あたしは二の腕の痛みに思わず叫んでレシテルを殴り倒してしまった。ごっごめん! でもあんたが悪っ!? うわぁっ!? ごっ…ごめ
「二回目ももらっとく」
レシテルはあたしが殴った部分を手で押さえる事もしないでそう言うと、睨み殺す勢いであたしをギッと睨み付け、あたしの顔を無理矢理掴んで二回目のキスも強引に奪った。
「馬っ…」
何だか前回とは全然違った感じだったので、あたしは思わずレシテルを突き飛ばして、更に自分も飛びすさると、口元を押さえてレシテルを見た。
アイス・ブルーの目があたしを捉え、でっかい目の中にあたしが映ってる。長いプラチナブロンドのまつげを伏せて、一、二回レシテルは瞬きする。ピアスのついてる形のいい薄い唇が、ちょっと開きかけて何かを言おうとする。けど、それを飲み込んで
「…………………アホヅラしてんじゃねーよ!」
思いっきり憎たらしい顔でニンマリ笑うと、レシテルはあたしを突き飛ばして扉に押し込んだ。
「馬っ鹿野郎おおぉおぉおぉおぉぉおおぉぉっ!!」
あたしは思いっきりレシテルに叫びつつ、異空間の通路を落ちていった。
ぐんにゃりした風景の中で、上にある扉の形の長方形だけがハッキリした形を留め、その中に少し歪んだ状態でレシテルが映っていた。けど、あたしの落ちていくスピードは物凄く速くて、すぐにその扉は見えなくなってしまった。
物凄ぉく怒りながらも、あたしは最後に見たレシテルの顔が、いつのも小憎らしい笑顔でホッとしていた。
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